第33章その2

アキは驚いた口ぶりでそう言うと、神谷の正面に腰かけた。
「奴はタリアを殺したすぐ後で、ストックホルムの海で溺れ死んだんだ」
「自殺か?」
神谷は苦々しく首を振った。
「いや。事故だったらしい。誤って海に落ちたって話だ」
「ふーん。犯人が死んでいたんじゃ、警察も張り合いがなかっただろうな」
羊の皮でできたショルダーバッグからダンヒルのライターを取り出すと、アキはタバコに火をつけた。
自分で紙を巻いて作るフィルターなしのタバコだった。
「警察には喋らなかった」
「どうして?」
「奴を訴えるだけの証拠がなかった」
「証拠がないって!? でも、そいつが犯人だということはわかっているんだろ?」


「タリアを殺したのは奴しかいない。だが、俺のつかんだ手掛かりでは、どれも奴の罪を暴くだけの力がないんだ…。
俺は、半年も前に死んだ男を必死で追っていたってわけだ。奴を訴えるにはそいつの口を割らす他に手はない。
…もういいさ。終わったんだ。俺は、事件を忘れることに決めたよ」
神谷は無理に作り笑いを浮かべ、椅子の背に体を投げ出した。
「犯人を墓穴から引きずり出そうがどうしようが、それはあんたの好きにするさ。でも、聞かせて欲しいな。どうやってそいつを見つけ出したのか」
椅子の背にもたれぼんやりした視線を宙に漂わせている神谷を、アキは冷静な目で見守った。
マサトをこのまま日本へ帰らせたら、こいつは二度とこの事件から立ち直れないかも知れない。
俺に麻薬を止めさせるきっかけを作ってくれた男が、そんな腑抜けになるなんて、そんなことはさせたくない。


「よそう、この話は。これ以上むし返したくないんだ」
神谷は眉根を寄せ、唇をかんだ。
「今のあんたの目、死んでるぜ。魂が抜けてしまったみたいだ。こんなこと、俺に言えた柄じゃないけどね…。」
アキは両肘をテーブルについてそう言った。
サングラスの奥の鋭い眼が神谷の眼を凝視していた。
「前に見た時のあんたの目、すごかったぜ。怖いほど燃えていた。それが今はどうだい、でく人形じゃないか。
証拠がないから犯人をそのままにしておくって? だったら、はなから事件に首を突っこもうなんて考えるなって言いたいね」
アキは神谷を見すえて、言葉を切った。
神谷は黙ったままだった。
アキの言葉に反論しようともしなかった。


「だめだぜ。あんたは俺に喋る義務があるはずだ。一度は俺を疑ったんだからな」
ニヤッと笑って、アキは顔を神谷の方へ突き出した。
しばらくためらっていたが、アキの強情さに負けたのか、神谷は諦めたように口を開いた。
「話したからと言って、どうにかなるものでもないけど…」
そう言って、神谷は犯人を見つけ出すに至った過程を説明した。


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