第41章その5

(第41章その5)


神谷は身をこわばらせ、両膝に指をくい込ませた。
撃たれる、そう思うと、自分が何の防御もせずにここへ来てしまったことが悔やまれてならなかった。
危険を考えるよりも復讐することで頭がいっぱいになり、みさかいもなく敵地へ乗り込んで来た自分の馬鹿さかげんを自嘲した。
だが、ハッカネンは静かに首を振った。


「私がなぜアドルフを殺したのか、君の言うようなことでアドルフを殺したのではない。それは、私がアドルフを船の中で見かけたのは、まったくの偶然だった。
私の方からアドルフに近づいていった。
私たちは話をした。
フィン語とドイツ語を混じえて話しているうちに、アドルフは私の肘の傷跡に気づき私が彼の父親であることを知ってしまった。
彼はそのことを私に確かめ、私はそれを否定しなかった。
私たちはお互いの過去を埋め合うかのように、何時間も語り合った。
クオピオ事件については、私もアドルフも触れようとはしなかった。
しかし、それ以上に恐ろしいことを私は、アドルフから聞いてしまった。
信じられなかったが、アドルフはそれを私に喋った。
彼がそれを話したのは、ふともらした言葉がきっかけだった。
私はアドルフを問い詰めた。
そして、アドルフは、あの子は父親の私にすべてを打ち明けた…」


ハッカネンはがっくりと肩を落とし、銃口をわずかに下へ向けた。
それから急に言葉をつまらせ、苦しみもがくような声で言った。
「アドルフを、アドルフを殺した理由は、私の口からはとても言えない」
ハッカネンは潤んだ瞳を宙に漂わせた。
遠い昔を、ドライアイヒへ従軍していた時のことを思い出しているかのようであった。
神谷は身を起こしかけた。
ハッカネンの銃から身を守るには今しかない。
今、ハッカネンに攻撃をしかけなければ、もうチャンスはない。
相手との距離は二メートル余り。
机を飛び越えて、ハッカネンに体当たりする以外に助かる道はない。


足を動かそうとしたその瞬間、銃口が神谷の胸を狙った。
安全装置の外される音が室内に響く。
〈やられる!〉
神谷は全身をこわばらせ、眼を閉じた。
一瞬後、鋭い銃声が鳴った。
一秒、二秒、神谷は恐る恐る眼を開けた。
体に痛みはなかった。
〈生きてる!〉
だが、一発の銃声は確かに耳に聞こえた。
神谷はハッカネンの方を見た。
机の上は赤い血で染まっていた。
血はハッカネンの右のこめかみから流れ出ていた。


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