第41章その2

(第41章その2)


「どうぞ」
ハッカネンは、その四角ばっためったに物に動じることのないと思われる厳しい顔にうっすらと笑みさえ浮かべ、神谷を部屋へ通した。
神谷は、ハッカネンの落ち着き払った背に視線をすえ、彼の後について中へ入っていった。
デコラ張りの大きい事務用デスクとその前に肘掛け椅子が二脚。
それ以外にはこれといった家具はない。
右側にドアが見えるが、向こう側は続き部屋で寝室になっているようだ。
神谷を椅子に座らせると、ハッカネンは神谷と向かい合うような形で、机の向こう側に腰を降ろした。
「クオピオ事件のことで話があると?…」
ハッカネンが静かに語りかけるような口調で、口を切った。
穏やかな話し振りには感情の乱れは表れていなかったが、青い両眼は鋭く神谷に向けられていた。


「アドルフ・グレーペをご存じですね」
相手の眼を見返しながら、神谷はいきなり核心に触れた。
ここへ来る前は、もっと遠回しな言い方で話を始め、徐々に核心に触れていこうと思っていたのだったが、ハッカネンを眼の前にして、神谷の口から出た言葉は自身でも意外だった。
ハッカネンは眉一つ動かさず、神谷の言葉に何ら反応を示さなかった
神谷は続けた。
「クオピオ事件の容疑者としていったんは捕らえられた男です。しかし、すぐに釈放されました。なぜだかわかりますか」
そこで言葉をきり、神谷は肘掛けを握っている手に力を込めた。
ハッカネンは口を開こうとしない。


「アドルフ・グレーペのことを話す前に、私がこの事件に足を踏み入れた、いや、踏み入れざるをえなかった理由を説明しましょう」
ハッカネンとの対決、それはこれまでの自身の怒りが頂点に達する時だ。
そう思っていた神谷であったが、現実にその場に直面するとなぜか不思議と冷静になっていた。
恋人を殺害した相手を眼の前にして、こんなに落ち着いていられる自分が信じられないくらいだった。
「タリア・コッコネン。彼女は私の婚約者だった。九月には結婚する予定だった。その彼女が、六月十一日、アムステルダムで殺された」
ハッカネンは不安な表情を一瞬たりとも見せないでいる。
神谷の眼から視線をそらすことなく、黙って神谷の話を聞いている。


「彼女は何者かに殺された。何者か…。
それは警察が発表している連続殺人犯なんかではない。
彼女を殺した人物は、彼女が連続殺人犯に殺されたと見せかけるためにあの事件を利用したのです…。
彼女の父親、アントン・コッコネンは交通事故で死亡した。
彼女はそこに疑問を抱いた。
なぜなら、アントンはあのような事故を起こす人間ではなかったから。
あの事故は、走行中のタイヤを銃で撃ち抜かれたために起きたものです。
それができるのは腕のいい、実に腕のいい射撃の名手だけです。
彼女はアントンの死に疑問を持ったと同時に、殺されねばならなかった理由を探り始めた。
それは、結果的には彼女が生命を失う発端となった…。


彼女はアントンの殺された理由を知った。
アントンは迷宮入りとなっていたクオピオ事件すなわちヨハンセン氏殺害事件の謎を解こうとして殺された。
アントンは恐らく、事件の全容をあと一歩のところまで探り出したのだろう。
そのため、彼は殺された。
クオピオ事件の真相が暴かれるのを防ぐために何者かがなした仕業だった。
そして、タリアも同じ理由で殺された。
彼女も事件の真相に近づいたからです…」


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