第33章その6

(第33章その6)


神谷が去った後、アキは二ヵ月前の地獄の苦しみを記憶に甦らせていた—
それは、神谷がアキの前に初めて現われて二週間目のことだった。
アキは麻薬の売人としての鉄則を自ら破り、麻薬をやったのだった。
一度目は天国の快楽が彼を夢心地にさせ、二度目の誘惑は彼を容易に誘い込み、三度目には麻薬から抜けられなくなっていた。
そして七度目には完全な麻薬中毒に陥っていた。
日ごとに瞳孔が拡がり、体がむしばまれていくのが自分でもわかっていた。
そして、二週間が過ぎた時、彼は麻薬をやるのを中止した。
地獄の苦しみはそれから始まった。


禁断症状は彼の想像を絶するものだった。
自分で自分がわからなくなっていた。
彼は体中を部屋の四方の壁にぶつけて暴れまわった。
体のいたるところが血に染まった。
じっとしていると、何者かが彼を襲ってくるような錯覚にとらわれ、それから逃れようと部屋中をはいずり回った。


頭の中は異常なのか正常なのかの判断さえできなくなり、思考力は完全になくなった。
麻薬のきれたために起こる激痛が全身を走る。
そんな禁断症状が丸二日間続いた。
アキは、それに耐えた。
そして、四十八時間ぶりに部屋から出た時、彼は自身に誓って言った。
「二度と麻薬は手にしない。俺はもうこんな世界から足を洗う。麻薬の運び屋は二度とやらない」


アキが麻薬をやったのは欲望からではなかった。
麻薬の苦しみを自身の肉体で知るためだったと言ってもよい。
アキは神谷に出会って初めて、生きることに目的を持ち何かに燃えている人間の眼をみた。
その時、自らの生き方に疑問を抱いた。
それが、アキが麻薬から抜け出るきっかけとなったのだった。


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