第40章その1

第40章その1


十一月二十三日午後六時、神谷はようやく目ざす男の居所をつきとめた。
男は、ドライアイヒ市スプリンゲン通りの安酒場のカウンターで、ビールを浴びるようにして飲んでいた。
神谷はハッカネンを打ち崩せる自信があったわけではない。
だが、もし自身の推理が正しければハッカネンの仮面をはぎとれる、神谷はそう確信していた。
男は、六月にストックホルム行きの船の中でアドルフを見かけたと証言した大柄なトラック運転手であった。
「六月にストックホルム行きの船の中でアドルフを見ましたね。そのとき、アドルフと一緒にいた男は、この写真の男じゃないですか」
神谷は男の隣に腰かけ、声をかけた。
そして、ハッカネンの写っている写真を男に見えるようにカウンターの上に置いた。


神谷にとって、まさに運命の一瞬といってもよかった。
神谷は緊張で体をこわばらせた。
男はジョッキをカウンターに置き、ソーセージのように太い指で写真をつまみ上げ、しげしげとそれを見た。
そして、写真を指で弾き、
「そうだ。アドルフと一緒にいたのはこいつだった」
「本当か! この男に間違いないんだな!」
神谷は男の広い肩を思わず揺すった。
「この男だ。間違いない。俺の見たのはこいつだ。そういや、肘のあたりに大きな傷跡があったな」
「傷跡だって! そうなんだ。そのとおりなんだ。奴の右肘には大きな傷跡があるんだ!」
ストックホルム行きの船の中でアドルフと一緒にいたのはハッカネンだということが、これで確実なものとなった。


神谷は、こみあげてくる希望と興奮をどう抑えてよいかわからなかった。
唇を震わせ、写真の顔を凝視した。
ハッカネンはタリアを殺害したあとすぐにアドルフの殺害にとりかかった。
アドルフの所在はハッカネンなら確認できていたとみなしてよい。
それに、アドルフの動きも知っていたと。
アムステルダムを発ちコペンハーゲンに行き、そこからアドルフと一緒の船に乗りストックホルムへ向った。
船の中でアドルフに麻薬を飲ませる機会は十分にあったろう。
甲板へアドルフを誘い、そこから海に突き落とした。
アドルフが麻薬を飲んだ状態であるなら、彼を海に放り込むのは容易なことであったろう。


そう考えた時、神谷は自身が見落としている重大な事実に気がつき、あっと声をあげた。
ハッカネンたちが甲板に出ていた時刻を九時から十一時頃とすれば、他にも何人かが甲板にいたはずだ。
ハッカネンはそこで一つの危険を冒すことになる。
誰かに目撃される可能性は大いにある。
しかも、あの時は白夜で空は明るい…。
結果的には、奴がアドルフを海に落とす現場を目撃した人物はいないはずだが。
それにしても、タリアとアントンを完全犯罪に近い状態で殺したハッカネンが、そのような危険をあえて冒すだろうか…。
神谷は、自身の心に湧き起こった疑問を男に問うた。
「船がストックホルムに近づいた頃、甲板に人はどれくらいいた?」
男は肩をすくめ、
「誰もいやしないさ。あの日は海は時化で大雨だったんだ。甲板になんか出た日にゃ、濡れねずみになっちまうさ」


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