第33章その4

(第33章その4)


そこまで言ってから、神谷はあっと叫んだ。
「アドルフは殺された!? まさか、いや、だが、そうだとすればなぜだ」
そう言う神谷の胸は、今まで考えても見なかった事実を突きつけられ、早鐘を打ち始めた。
「そこから先は、あんたの推理で解くしかない。俺も、一つだけあんたを手伝うぜ。今から『ビオビオ』へ行ってみる。連中に会ってアドルフが麻薬をやっていなかったかどうかを確認してくる」
アキは駅の大時計に目をやった。針は五時十分過ぎをさしている。
「六時までここにいてくれ。それまでには戻ってくる。あんたはここをめいっぱい使ってなよ」
自分のこめかみに指を当て、アキは席をたった。


アキの姿がドアの向こうへ消え去ると、神谷は両肘をテーブルにつき、両手で頭をかかえこんだ。
〈いったいどういうことなんだ。仮に、アキの言ったとおり、アドルフは自らの意志で麻薬を飲んだのでないとすれば、奴に麻薬を飲ませた人物がいることになる。
そいつが、アドルフに麻薬を飲ませたのは、殺害のためだろうか…。
麻薬を飲まされ意識の錯乱したアドルフを海に落とす…。
だが、アドルフを殺す動機は、それに奴を殺すにしても他にいくらでも方法があるはずだ。
はず?…待て、警察はアドルフの死を事故死と断定した。それは、奴が麻薬を飲み過ぎ、誤って海に落ちたためと判断したからだ。
海に落としたのは事故死に見せかけるためだったかも知れない。
しかし、たとえ事故死に見せかけるのが狙いでも、何も海に限定する必要はないだろうが。別のやり方はあるのだから…〉


アドルフが溺死したことに神谷は妙にこだわった。
何か、神谷の推理の奥にひっかかるものがあったせいだった。
そして、それを辿っていくうちに、突然、あることに思い当った。
「船だ! アドルフは船から海に突き落とされたんだ!」
顔を上げ、神谷は思わず声に出して言った。
ポケットから手帳を引っ張り出し、乱暴に頁を繰った。
アドルフ・グレーペの死亡推定時刻を調べる。
アドルフが死亡したのは六月十二日午後九時から十一時までの間とされている。
アドルフの乗った船がストックホルムに着いたのはその日の午後十一時。
つまり、アドルフは船がストックホルムに着く前に海に落ちた…。


船から落とされた。
とすれば、アドルフと一緒に船の中にいた人物が最も怪しくなる。
しかし、その人物がアドルフを殺す動機は? 麻薬に関係してのことなのか。
それとも、タリアの死に何らかのつながりが…。
「まさか、そんなことが」
神谷は後者の推理を頭から払いのけようとした。
あまりにも突飛な推理と思えたためだった。
だが、その推理を打ち消そうとすればするほど、それは神谷の心に深くくいこんでくるのだった。


アドルフが殺されたのが一連の事件にからんでのことであるなら、奴を殺そうなどとする人物にいったい誰がいるだろうか。
ヨハンセン氏には遺族はいない。
アントン及びタリアの場合は、メイユが唯一の遺族となる。
しかし、彼女は、メイユは事件を探ったりはしていない…。
だめだ、この考えは飛躍しすぎている。
アドルフの死は、それがたとえ殺されたのであっても、事件に関係してのことではない…。
神谷が推理に没頭している間に、大時計の針はいつしか六時に近くなっていた。
アキが戻ってきた。


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