長編推理小説「タリア」第6章その4

(第6章その4)


タリアがどこかへ出かけていたその目的が、彼女がアムステルダムで殺された事件につながりがあるのではないだろうか。
彼女をアムステルダムへ呼び出した人物は、いったい、どのようにして彼女をそこへ行かせたのか。彼女がどこかへ行っていたのも、その人物がそうさせていたのだろうか。その人物と彼女との関係は。
そこまで推理した時、神谷は愕然となった。
タリアに限ってそんなことはない! 神谷はたった今描いた推理を打ち消そうと必死に努めた。しかし、彼が否定すればするほど逆に推理は確かなものに思えてくるのだった。
タリアに俺以外の男がいた!?
ばかな!
そんなことあるものか。
タリアは俺に、何度も、早く迎えに来て欲しいと言っていたんだ。その彼女が、他に男を作るわけがない…。

だが、なぜ彼女は行先を秘密になんかしていたんだ。それに、アムステルダムへ行った目的が、男に会うためじゃなかったと言いきれるだろうか。
待て!
男に会いにアムステルダムへ行ってどうして殺されねばならないんだ。これは辻つまが合わない…。
いや、そうじゃない。
こうも考えられる。
男は彼女との恋愛を清算するために彼女をアムステルダムへ呼んだ。その場所を選んだ理由は、彼女の死を連続殺人事件の一つと見せかけるためだ。
タリアは、俺が日本に帰っている間に男と知り合った。そして恋愛関係におちいった。数ヵ月後、男は恋愛にあき、彼女と別れようとする。彼女はそれを承知しない。そのため、男は恋愛を清算するために彼女を殺害する。
矛盾のない推理だ。
矛盾のない?
…俺にはあるんだ!
俺には、俺にはタリアがそんな女だったなんて信じられない。彼女はちがう、そんな女じゃないんだ!

激しい嫉妬が神谷の心を乱し、彼は自身の推理を否定しようともがいた。
しかし、それは無駄な試みだった。
神谷は、メイユの視線が自分に向けられているのに気づいた。
どれくらいの間、メイユは自分を見ていたのだろう。
そう思うと神谷は自身の顔が紅潮し耳のつけ根までも赤く染まっていくのを感じた。メイユも同じことを考えていたのだろうか。恋人に裏切られた間抜けな婚約者。笑え、好きなだけ笑え。俺を馬鹿な男と思うがいい。
だが、それでも俺はタリアを愛してる。
彼女が死んだ今でも、俺はタリアを愛してるんだ。
「タリアがあなた以外の男性と付きあっていたなんて、とても考えられないことだわ」
神谷の心を思ってか、メイユはそう言った。
それは慰めの言葉のようでもあった。
だが、神谷にとっては耐えきれない恥辱だった。
神谷の唇は感情の高ぶりで震えていた。
「今からしなければならないことは、タリアと付きあっていた男を探し出すこと。あるいは、彼女が出かけていた場所を見つけること。これがわかれば男の正体も浮かんでくる」
それだけ言うのがやっとだった。
言い終わると、神谷は唇を強くかみしめ、こぶしを握りしめた。
メイユは黙ってうなずいた。

アル・クーパーは歌い終わり、針はさっきから同じ溝を回り続けている。
神谷はずたずたに引き裂かれていく自身を嘲笑った。
タリアを愛し、タリアも俺を愛してくれているものと信じていた。
それがどうだ。
わずか半年離れていただけで彼女の心は俺から去ってしまっていただなんて。
タリア!
言ってくれ。
一刻も早くヘルシンキへ来て欲しいと言った、あの言葉は偽りだったのか。お前が俺にくれた最後の手紙。俺との結婚を待ちわびるといったあの言葉は嘘だったのか…。
「タリア」
呻くような声で恋人の名を呼び、神谷はこぶしを壁に押しつけた。
目を閉じると、振り払おうとしてもタリアの面影が浮かんでくる。
クリスマスの翌日、雪の降るヘルシンキ駅で神谷を見送ったタリアの姿が、閉じたまぶたの裏に鮮やかに甦ってくる。
遠去かる汽車に向かっていつまでも手を振り続けていたタリア。
今度会う時までに日本語をうんと上手になって、俺のいい奥さんになると言ってくれたタリア。
「あれは嘘なんかじゃない。絶対に偽りなんかじゃない! タリアは俺を愛していた。俺だけを愛してくれていた。俺だけを…」

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