長編推理小説「タリア」第15章その1

作品解説:この長編小説は第24回江戸川乱歩賞最終候補作となりました推理小説「タリア」を選評(「文章が粗いので受賞は諦めたが一番面白く読んだのはこの長編小説だ。惜しい、まったく惜しい」「文章を修正すれば名作になったかもしれない」にもとづいて加筆訂正しております。物語は日本人青年がアムステルダムで殺害されたフィンランド人の恋人タリアの死に疑問を抱き、北欧を舞台に謎を解いていくという長編小説(推理小説)です。


長編小説(推理小説)「タリア」第15章その1


少女の住むアパートは、ダム広場から百メートルばかり南へ下ったパペンブロエクス通りの一角にあった。
ちょうど、アムステルダム警察署の向い側にあった。
母親の後ろにくっついて玄関口に出てきた少女の顔を見ると、ヤコブ・ステヴァンはバンヘルデン警部の方へ顔を向け、この少女に間違いないといいたげに力強くうなずいた。
少女もステヴァンのことをよく覚えていた。
ステヴァンの顔を見るなり、にこっと笑って、あの時のおじさんだと言った。
ヤコブ・ステヴァンが少女を車に乗せてやったのは二日前のことだった。
その夜、少女をダム広場で降ろした後、ステヴァンはカジノへ行きそこでフレールからネクタイの一件を聞かされた。


最初、彼は自身のネクタイが連続殺人事件で使われたものと同じ柄であるという事実を深くは考えなかった。
単なる偶然の一致で、たまたま同じネクタイを買ってしまったというだけのことじゃないか。
そんなふうに考え、フレールの言葉を聞き流し、ルーレットに興じた。
フレールもそれ以上その話はしなかった。
二人ともルーレットに心を奪われ、つまらないネクタイのことなどどうでもよかった。
しかし、カジノを切り上げ、フレール夫妻と別れ、ユトレヒト方面へ向って一人で車を運転しているうちに、ネクタイのことが気になり始めた。
何時間か前に乗せてやった少女の話とフレールの言ったことが心の中で重なり合い、ステヴァンはどんどん想像を膨らませていった。
そして、ユトレヒトに帰り着いた時には、彼は一つの想像をねり上げ、それを信じるまでになっていた。


翌日、ステヴァンは自分のつかんだ情報を知らせるため、アムステルダム警察署へ足を運んだ。
この時期になると連続殺人事件に関しての情報提供者はすべてクライネ刑事に回されることになっていた。
最後の犠牲者が出てからすでに三ヵ月半も経っているのに、事件解決の糸口はいっこうに見出せず捜査はこう着状態に陥っていた。
特別捜査班にとって、手掛かりはもはやなきに等しく、あとは一般市民からの情報の中に、万に一つの幸運が潜んでいることを祈るのみだった。
ステヴァンの話に耳を傾けていたクライネ刑事は、この情報提供者の話に今までの同種の情報にはなかった何かがあることを敏感にかぎ取った。
ひょっとしたら、この男の情報は大きな手掛かりになるかも知れないぞ。
クライネ刑事は男から一部始終を聞き出すと、すぐさま席をたち、バンヘルデン警部を呼びにいった。


警部の関心はクライネ刑事に劣らず強く、彼もまた、ステヴァンのもたらした情報に事件の手掛かりがあるのではないかと期待した。
少なくとも、ステヴァンの持ってきたネクタイは被害者の首に巻きついていたものと同じ柄だ。
彼が車に乗せてやった少女は以前にもそれと同じネクタイを見たことがあると言う。
「お嬢ちゃんの名前は何て言うの」
バンヘルデン警部は腰をかがめ、笑顔を見せ、やさしく尋ねた。
「アイネって言うの」
「可愛いい名前だね」
少女はうれしそうに母親の顔を見上げた。
それから、ステヴァンの方へ向き直り、どうしてここがわかったのかと聞いた。
「このおじさんが、君が車から降りてこっちの方へ駆けて行くのをずっと見送っていてくれたからなんだよ」
ステヴァンに代わって、警部が答えた。


警部は少女の家を探し当てるのに丸一日かかったことは伏せておいた。
十人の刑事を動員して、ダム広場周辺の家々を一軒一軒あたらせ、少女と同じ年頃の女の子のいる家庭をリストアップしたことや、その家々をステヴァンと一緒に何十軒も訪ね歩いたことなどはふせておいた。
そんなことを喋ったりすれば少女と彼女の母親を緊張させ、こわがらせるだけだ。
「このおじさんの車に乗っけてもらった時、おじさんのネクタイを前にも見たことがあるって言ったね。そのネクタイを教えてくれるかな」
警部は、用意してきた柄の異なった十本のネクタイをレースで縁どりされたまっ白いテーブルクロスの上に拡げ、少女に問題のネクタイを選ばせた。
「これがそうよ」
少女は一目見るなり、一本のネクタイを指さした。


(第15章その2へ)