長編推理小説「タリア」第15章その2

長編小説「タリア」第15章その2


「アゲハ蝶の一種で、アグリアス・クラウディナ・サルダナパルスっていうのよ。本物は上の羽だけが赤で、下の羽は青色なんだけど。この蝶は全部赤だから、どの蝶にも本当は当てはまらないの」
紫色の地に赤い蝶の模様が入ったネクタイ。
警部は、緊張のせいかぐっと顎を引いた。
「そのおじさんの車に乗せてもらったのはいつごろだったか、覚えてる?」
声にこそ出さなかったが、警部は内心祈るような気持ちでいた。
少女がその男に乗せてもらったのが六月九日以降のことであれば、せっかくの情報も何の役にも立たなくなる。
五番目の犠牲者がネクタイで首をしめられたのは、六月八日の夜なのだ。


「覚えてるわ。あれはママの誕生日だったわ」
「それはいつ?」
「六月八日ですわ」
小柄で優しそうな眼をした丸顔の母親が、少女に代わって答えた。
その答えを聞くと同時に、警部の体はまるで電気にでも触れたかのように固くこわばった。
警部は声をうわずらせ、
「その日の何時ごろだった? 今時分だった?」
「うん、そう、今ごろ。ピアノのレッスンの日はママがいつも晩ごはんを待っていてくれるから」
「晩ごはんはいつも何時?」
「いつも八時よ。でも、レッスンのある日は九時半なの。ねえ、ママ」
少女の言葉に、警部は母親の方を見て、
「お母さんの誕生日だった夜も、夕食は九時半にされましたか?」
「ええ、この子のいうとおり、あの夜も九時半でしたわ」


警部は、少女と母親のいう時刻と被害者の死亡時刻とを頭の中で比較した。
被害者が発見されたのは六月九日早朝。
死亡時刻はそれより六時間余り前であったから午後十一時から十二時にかけての間ごろとなる。
仮に、犯人が少女を車から降ろした後に凶行を行ったとすれば、少なくとも被害者の死亡時刻まで二、三時間はある。時間的にはつじつまが合う。
距離的にはどうだろう。
ダム広場からオーストザーン地区まで五キロもない。
車なら十分もあればいける距離だ。
少女を車に乗せた男を連続殺人犯と見なしてほぼ間違いないのでは。


バンヘルデン警部は確信に近い気持ちでそう思った。
少女を乗せた男は犯行に使われたのと同じ柄のネクタイを、殺人の起きたその日に結んでいた。
しかも、時間的にみてもその男が犯人である可能性は高い。
逸る気持ちを抑えながら警部は問う。
「そのおじさんの顔を覚えてる?」


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