「タリア」第15章その3

(第15章その3)


「ううん、わかんない。忘れちゃった」
「それじゃ、顔のほかには何か気がつかなかった?」
失望を表情には出さずに、警部は気をとり直して質問を続けた。
「やさしいおじさんだったわ」
「やさしい? どんなふうに」
「わかんない。そう思っただけだもの」
「年はいくつぐらいだった」
「パパと同じくらいか、もう少し若かったかな。こっちのおじさんくらいかも。でも、やっぱり違う。パパの方に近かった」
ステヴァンの顔を見上げて、少女は答えた。


「主人は三十六歳です」
母親が言葉をはさんだ。
「そのおじさんとはどんな話をしたの?」
「忘れちゃった。あまり喋らなかったもの」
「どうして?」
「その人、音楽ばかり聞いてたんだもの」
「音楽?」
「学校で聞かされるクラシックよ」
「どんな曲だった?」
「わかんない。覚えてないもの」
少女はおおげさに顔をしかめてみせた。


「どこからその人の車に乗せてもらったの」
「おじさんに乗っけてもらったのと同じ所からよ」
少女はステヴァンの方を見た。
ステヴァンがどこで少女を拾ったかは、警部もすでに聞いて知っていた。
「車の中で何か変なことをされなかった?」
「変なことって、どんなこと?」
「体に触ったり、いたずらしたりされなかった?」
「そんなことされなかったわ。あの人やさしいおじさんだったもの」
「車は覚えてる? 色とか型とか」
ルノーよ」
少女は、ぱっと顔を輝かせて即座に答えた。


警部は少女の顔をまじまじと見つめた。
三ヵ月以上も前に乗った車の名を、どうやってこの少女が覚えていられるのか、とても信じられなかった。
しかし、警部の疑問に答えるかのように母親は、こう説明した。
「乗せてもらった車の名を覚えるのがこの子の楽しみなんです。バスに乗り遅れた時はたいていヒッチしてくるらしいんですよ」
「もう、九台もヒッチしたわ」
少女は得意気な顔で言った。
「じゃ、ルノーに乗ったのは何台目?」


「一台目。あれが初めてのヒッチだったの。最初がルノーでしょ。その次がベンツ。三番目が、えーと、何だったっけ…、そうだ、フィアットよ」
「よく覚えてるね」
警部はそう言って、母親の方へ顔を向けた。
「お母さんはどうですか。お嬢さんが最初にヒッチされた車の名を覚えておいでですか」
「さあ、私はよく覚えてませんわ。もう三ヵ月以上も前のことですから。でも、この子にとっては初めてのヒッチだったのですから、その最初に乗った車を覚えていたとしても不思議ではありませんわ」
警部も母親の意見に賛成だった。
少女が六月八日に乗った車はルノーと考えて間違いあるまい。
「色はどんなだった?」
「わかんない。色なんて聞いたことないもの」


少女が与えた情報は、それまでこう着状態の続いていた捜査に大きな進展をもたらした。
追う側にとって、犯人の輪郭がようやくつかめたのだ。
男の年齢は三十代前半から半ば、車はルノー、クラシック好き。
捜査の焦点が絞られ、中だるみ気味であった特別捜査班に、活気がみなぎり始めた。
まず、ルノーの所有者をリストアップし、そこから三十代前半から半ばにかけての年齢の男を洗い出す。
次にそれらの容疑者の中からクラシック好きな人物を探り出し、アリバイを調べる。


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