「タリア」第17章その1

作品解説:この長編小説は第24回江戸川乱歩賞最終候補作となりました推理小説「タリア」を選評(「文章が粗いので受賞は諦めたが一番面白く読んだのはこの長編小説だ。惜しい、まったく惜しい」「文章を修正すれば名作になったかもしれない」にもとづいて加筆訂正しております。物語は日本人青年がアムステルダムで殺害されたフィンランド人の恋人タリアの死に疑問を抱き、北欧を舞台に謎を解いていくという長編小説(推理小説)です。


長編推理小説「タリア」第17章その1


クオピオで起きた事件、それはヨハンセン氏殺害事件と呼ばれる事件だった。
一九七二年三月七日に発生した事件で、クオピオで起きた最大の凶悪事件であったためクオピオ事件と呼ばれることが多かった。
事件の詳細は次のとおりである。
一九七二年三月七日午前六時前後、クオピオ市内において六十二歳になる老人が惨殺された。
被害者の名はパウリ・ヨハンセン
精肉会社の重役の一人だった。
全身に十六ヵ所の刺傷を負いながらも、賊の立ち去ったあと自力で起き上がり、警察に電話をかけ助けを呼んだ。
被害者はかけつけた救急車で病院に運ばれる途中で絶命し、犯人の特徴を伝えることはできなかった。


被害者の倒れていた部屋は文字どおり血の海と化し、白壁には血が飛び散り、真紅のカーペットは被害者の体から流れ出た多量の血液を吸収しどす黒く染まっていた。
部屋の中は格闘の跡が見られ、壁に掛かっていただ円形の鏡は床に落ち粉々に割れ、ナイトテーブルはひっくり返り脚が一本折れていた。
テーブルクロスは床に落ち、血に染まった赤い手形が幾つもついていた。
そして、砕けた水差しのガラス片が部屋の方々に散らばっていた。
寝室にそなえてあった高さ一メートルの鋼鉄製金庫は扉が開けられており、その後の調べで、およそ一万フィンマルカ(邦貨換算約八百五十万円)が盗まれていることが判明した。
現場には、犯人のものと思えるペンダントが落ちていた。
それは記念硬貨で作られたもので、これが犯人の残した唯一の遺留品とみられた。


強盗殺人と考えられたが、殺害方法があまりに残虐であることから怨恨によるものともみられた。
捜査はこの二つの点から絞られていったが、結局、三年の歳月を費やした後、迷宮入りとなった。
なお、この事件には数多くの謎が含まれている点においても、フィンランド犯罪史上例を見ないものであった。
第一に、被害者が傷を負ってから警察に助けを呼ぶまでに、出血状態から判断して少なくとも二時間以上は経過していること。
被害者は賊が出て行った後なぜすぐに助けを呼ばなかったのか。
この点において、様々な憶測がなされた。被害者は賊に与えられた刺傷のために一時的に意識を失っていたが、再び意識を回復し警察に連絡をとった。
あるいは、賊が被害者に傷を負わせてから二時間余りも部屋に居すわっていたため、助けを呼ぶことができなかった。


第二に、事件が起きた時間に、被害者の助けを求める声や悲鳴を聞いた者がいないこと。
被害者宅での物音を聞いたと証言する者は二人いたが悲鳴を聞いた者はいない。
この点に関し、警察は次のように推測した。
被害者が助けを呼ばなかったのは犯人が知人であったために、犯人をかばおうとしたのではないのか。
それとも、犯人の凶行に怯えきって声をあげることさえできなかったのか。
第三に、被害者を死に至らしめた凶器がついに発見されなかった点である。
被害者を襲った凶器は刃渡り三十センチはある動物の皮はぎ用ナイフと見られていた。


第四に、これが捜査の最大の難関となった謎であるが、犯人はどうやって被害者宅へ侵入できたのかという点である。
被害者の住む部屋は四階建てアパートの三階に位置していたが、このアパートにはベランダはなく屋上もない。
仮に、犯人が被害者宅へ窓から侵入しようと試みたとしても、四階の部屋からロープを使って降りてくるか、梯子を使うかのどちらかでしかなく、それも被害者宅の窓に掛け金がされていない場合に限る。
もっともこの点は十分に調査され、犯人が窓から侵入した形跡はなかったとのことであった。


残るは当然、犯人は玄関から侵入したと考える他ない。
深夜に犯人が戸口から部屋に侵入するにはどのような条件が必要か。
まず考えられることは、被害者と犯人は顔見知りであったため、被害者は怪しむことなく戸口を開けたという場合。
だが、そうなると、犯人は建物全体の入口の鍵を持っていたことになる。
犯人が被害者宅へ侵入するには、最初に建物内部に入っていなければならない。
建物のドアには各部屋に通じる自動式の開閉装置はないため、建物入口の鍵を持った人物しか内部には入れないことになる。
犯人が知人でもなく、戸口から侵入するには唯一の方法がある。
被害者宅の鍵と建物の入口の鍵、この二つの鍵すなわち二つの合鍵を持っていることである。
しかし、犯人はどのようにして合鍵をえたのか…。
捜査は三年間続けられたが、以上の謎を残したまま迷宮入りとなった。


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