長編推理小説「タリア」第17章その4

(第17章その4)


「彼女があなたにどんなことを尋ねたかと聞いたのですが」
「そう、それよ」
老婆は今にも叫び出さんばかりにそう言って、両手を胸の前でしっかりと握り合わせた。
「いま、あなたが喋ったとおりにあの娘さんも喋ったのよ。
あの娘さんは、お父さんがここへ訪ねて来たかと訊くものだから、訪ねて来たと答えたのよ。そうしたら、お父さんがどんなことを尋ねたか教えて欲しいと言うじゃないの」


「彼女の父親があなたを訪ねて来たのはいつのことですか」
「十一月、そう去年の十一月でしたよ。クオピオ事件のことを訊きに来られたんですよ。あれからしばらくしてあの人の娘さんが、そして今度はあなたでしょ。
それに、今話した二人は死んだとか殺されたとかで、なんだか気味が悪いわ」
神谷は老婆の話にうなずきながら、彼女が事件解決への手掛かりとなる鍵を握っているかも知れないと思った。
「あなたがコッコネン氏に話されたことを、もう一度話してもらえないでしょうか」
「いいですけど。私の話は何度も、それこそ暗記してしまったくらいに警察の人に聞かせてあげたものだから。
警察に話したことと同じことしかあの人には話していなかったはずですよ」


老婆はそのように前置きしてから話し始めた。
「私がヨハンセンさんのメイドを始めたのは、あの人が死ぬ五年前から、あのアパートへ引っ越す前からあの人のお世話をしていたんですよ。
家政婦協会で紹介してもらったんです。
あの人のお世話は朝九時から夜の七時まででした。
勤めは十時間ありましたが、朝は十時に会社へお出になられ、夜は八時過ぎにならないと戻って来られないので、一日のうち顔を合わせるのは朝のうちの一時間ほどでした。
あの人は几帳面な人でしたので、寝室を整えたり部屋の清掃には気を配りました。
いいえ、怒ったりなさったことは一度もありませんでした。
いつも穏やかで、やさしい紳士でした。


朝食は私が作って差しあげましたが、夜は外で召しあがるのが常でした。
私の仕事は部屋の片付けとクリーニング、それに朝食とおいしいコーヒーを作っておくこと、それくらいでした。
冷蔵庫には、あの人の好みの物を揃えて入れておけばよかったんです。
サラミソーセージと小いわしの酢づけがそうなんです。
寝る前にそれをつまみながらウォッカを飲むのが楽しみだなんておっしゃっていました。私が今までにメイドをした中で、一番気が休まった家でした。
あの人はずっとお一人で暮らしておられたからお子さんもおられませんでした。


お客様が訪ねてくることはめったにございませんでした。
ほとんど、会社でお会いになっておられたようでした。
部屋の鍵はあの人と私の二人だけしか持っていませんでした。
私の持っていた鍵は、落としたことも人に貸したこともございません。
あの人が鍵を失くしたことはなかったと思います。
鍵を落としたりしたら私に知らせて、新しいのを作らせたはずですから。
あの人に恨みを持っていた人ですか。
そんな人はいなかったと思います。心当たりはございません」
老婆がアントンに語った話は、それですべてだった。
それは同時に、タリアにも語ったことであったはずだが。


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