「タリア」第18章その1


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作品解説:この長編小説は第24回江戸川乱歩賞最終候補作となりました推理小説「タリア」を選評(「文章が粗いので受賞は諦めたが一番面白く読んだのはこの長編小説だ。惜しい、まったく惜しい」「文章を修正すれば名作になったかもしれない」にもとづいて加筆訂正しております。物語は日本人青年がアムステルダムで殺害されたフィンランド人の恋人タリアの死に疑問を抱き、北欧を舞台に謎を解いていくという長編小説(推理小説)です。


「タリア」第18章その1


午後二時だというのに、垂れ下がった灰色の雲のせいで空は薄暗く、街灯はすでにともされている。
昨夜半から降り続ける雪は、正午前にいったん小降りになったが、一時間ばかり前からまた強く降り出し、神谷のいるレストランの窓ガラスに横なぐりに吹きつけている。
夏にはそこで巡回サーカスのテントが張られるという小広場が見渡せるレストランに腰を落ち着け、神谷は遅い朝食兼昼食をとっていた。
塩味のききすぎたボイルド・ビーフ、それにフライド・ポテト。
何をすることもなく所在なげな周囲のフィンランド人を眺めながら、神谷はいつになく長い時間をかけて食事を済ませた。
ゆったりした足取りで各テーブルを回り食べ終えた皿を片づけるボーイが神谷のテーブルを整えると、神谷は立ち上がってカウンターへ足を運んだ。
コーヒーや紅茶の類はセルフ・サービスになっている。
神谷は、熱湯を満たしたカップとリプトンのティーバッグを受け皿にのせ、テーブルに戻った。
レモンは置いていなかったので、仕方なくミルクでがまんした。

紅茶を飲み終え、カップをテーブルの端へ寄せ、神谷は黒表紙の手帳を開いた。
そこには、タリア殺害における疑問点から出発しクオピオ事件にいたるまでに辿った彼の推理と調査の記録が克明に記されていた。
神谷はミルカネン老婆を訪ねてから昨日までの四日間をヨハンセンの勤めていた精肉会社に出向いたり、ヨハンセンの知己を訪ねたりして事件の手掛かりをえようとした。
しかし、成果はなかった。
警察が三年の歳月をかけて調べあげた以上の事実を、わずか四日間で探り出せるものではなかった。

神谷はペンを手に、昨夜訪ねた人物との対話を思い浮かべた…。
ヨハンセン氏の住んでいた部屋の前住者はアルト・ラウノといい、事件の起きるちょうど一年前に老衰のため六十八歳で亡くなっていた。
ラウノは実直なごく平凡な人物で、五十七歳でのんびりした年金生活に入るまではフィンランド国有鉄道に奉職し、クオピオ駅で勤務していた。
彼の退職時の地位は駅長であり、収入の面からみればそれほどぜい沢さえしなければ人並み以上のそこそこの生活ができるだけのものはもらっていた。
それになんといっても、退職後から支給される年金は同年輩の者にとってはかなり魅力的なものだった。
今までもらっていた給料とほぼ同等の金額を生涯支給されるのだから。
アルト・ラウノの妻は彼よりも早くに亡くなっていたが、ラウノには息子が一人いた。名をエルキ・ラウノといい、十二年前に結婚して二人の子供がいる。
父親の跡を継いだわけではないが、彼もまたフィンランド国有鉄道に勤めていた。
ただ、エルキの場合は列車を作る方だった。
彼はユバスクラ大学の工科を卒業した技術者であった。

神谷が最初にエルキ・ラウノを訪ねた時、彼の妻だけしかいなかったが、二時間後に出直した時には、エルキは仕事を終え帰宅していた。
「だいたいの話は妻から聞きましたが、お役にたてるかどうか」
エルキはにこやかな表情でそう言って、神谷に握手を求め、彼を居間へ通した。
部屋の中は適度に暖房がなされ、快適だった。
ドアに向って右側の壁には本棚が置かれ、動力エネルギーだとか車輌だとかいった表紙の本がびっしり並んでいる。
本棚の横には大きな木製の机が窓に向って置かれ、製図用のスタンドが取り付けられている。
脚の短いガラス張りのテーブルを間にはさみ、神谷はエルキと向い合って座った。
「アントン・コッコネン氏はご存知ですね」
神谷は話を切り出した。
エルキ・ラウノはソファの背に体をもたせ、長い脚を組んだ。

「ええ、知ってます。去年の十二月ごろだったと思います。クリスマス前のあわただしい時期でした。あなたと同じようにクオピオ事件について聞きたいことがあると言ってこられました。お知り合いですか?」
「コッコネン氏の娘さんと婚約しているんです。コッコネン氏は今年の一月に亡くなりました」
「亡くなった?」
エルキにはアントンが死んだことは初耳らしかった。
声に驚きの響きがこもっていた。
「交通事故だったんです。私が今あなたを訪ねているのも、コッコネン氏のやり残した仕事を解決したいがためなんです」
エルキの態度に注意深く視線を投げながら、神谷はアントンが亡くなったいきさつを語った。

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