「タリア」第18章その2


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(第18章その2)


「それで、私に訊きたいことというのは?」
きれいにそろえた口髭を指でつまみ、エルキは言った。
澄んだグレーの瞳と血色のよい顔、バネのありそうな長い脚。
初対面の相手にも如才なく対応できる外交的な性格。
一見しただけではエルキはとても技師には見えない。
神谷はそんなふうにエルキの印象をとらえていた。
「コッコネン氏にあなたが語られたことを思い出していただきたいのです」
「そりゃ、何度も警察に話したことと同じ内容のものですから覚えていますが、それがクオピオ事件を解くのに役立つかどうか」
「それをぜひ聞かせて下さい」
「今さら私の話が役に立つとはとても思えませんが」
本心からそう思っているのか、エルキは苦笑を浮かべ、軽く両手を拡げて見せた。


エルキの父、アルト・ラウノがヨハンセンの住んでいた部屋にいたのは三年足らずの間であり、ヨハンセンがその部屋を借りたのはアルトの死後二ヵ月ほど経って後のことだった。
それからほぼ十ヵ月後にヨハンセンが殺された。
警察はエルキに対し、主として鍵のことを中心に尋ねた。
アルトは問題の部屋に移り住むと同時に、部屋の所有者の了解のもとに、ドアの鍵を新しく取り替えている。
いくら几帳面なアルトでも普通ならそこまではしないのだが、前年にそのアパートに泥棒が入ったと聞いていたため用心にと鍵を取り替えたのだった。
鍵を取り替えた後、合い鍵を三個作り、アルトとエルキが一つずつ持ち、残った一つを部屋の所有者に預けた。
エルキが一つ持つことになったのは、何かの用がある時など、いつでもアルトの部屋に自由に出入りできるようにとのことで、アルトがそうさせたのであった。


アルトの亡くなった後、鍵は二個ともに部屋の所有者に返却された。
そして、そのあとすぐにヨハンセンが住むことになったのだが、彼は鍵を取り替えたりはしなかったらしい。
そのことは部屋の所有者が確認している。
以上が、エルキがアントンに話した内容のあらましであった。
「タリア・コッコネン、彼女はコッコネン氏の娘さんですが、彼女があなたを訪ねて来たのはいつごろですか」
エルキは首を傾げ、タリアという名の女性あるいはそのような人物が彼を訪ねてきた覚えはないと言った。



…神谷はペンを置き、両手の指を左右のこめかみに当て、うつむいたまま目を閉じ、推理に没頭し始めた。
警察はヨハンセンの交友関係をしらみつぶしに調べ尽くした。
鍵の件にしても、エルキはもちろんのこと部屋の所有者も尋問された。
タカラ・ミルカネンもしかり。
結果は、警察は彼らを白と断定した。
ヨハンセン氏を殺害した犯人はどうやって部屋に侵入したのか。
合鍵か?
ならば、合鍵を所有できた人物は誰か?
ヨハンセン氏以外にはタカラ・ミルカネンと部屋の所有者。
それに、エルキ・ラウノもそうだ。
部屋を空け渡し鍵を返す前に合鍵を作っておくことは容易であったろう。


仮に、この三人の中に犯人がいるとすれば動機は何か。
果たして、彼らにヨハンセン氏を殺さねばならないほどの動機があったであろうか。
エルキ・ラウノはヨハンセン氏に面識はなかったはずだ。
となれば、彼がヨハンセン氏に恨みを抱くとは考えられない。
では、強盗の線はどうだろう。こ
れも、エルキの余裕のある生活からは想像できないことだ。
父親の残した遺産もけっこうあり、社会的にも認められているエルキが、金に不自由して強盗を働くなどといったことはまずありえない。


タカラ・ミルカネン。
動機を考えるよりも、彼女にあれだけの凶行がはたして可能だったであろうか。
事件は八年も前に起きたわけだが、それを考慮に入れたにしても、あの小柄できゃしゃな体にそんな力があったとはとても考えられない。
それに、ヨハンセンが殺害されてもっとも被害を受けたのは彼女自身なのだから。
ヨハンセン氏宅での楽な労働で普通の家政婦の倍ほどの収入をもらっていた。
ところが、ヨハンセン氏が殺されて後は、目減りしていく貯金と年金をたよりに余生を暮らさねばならないことになったのだ。


部屋の所有者、ユハ・ライナネン。
神谷はまだこの人物に会ってはいなかったが、アパートの住民の話では穏やかな人柄の老紳士らしかった。
今は、南欧に旅行中であるとのことだった。
部屋は、ヨハンセン氏の住んでいた部屋以外にも、高級アパートに二部屋を所有していた。


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