「タリア」第18章その3

(第18章その3)


エルキ・ラウノ、タカラ・ミルカネンそしてユハ・ライナネン。
ヨハンセン氏宅の合鍵を作ったのは誰かとなると、この三人がもっとも怪しい。
しかし、動機に視点を移すと、彼らがヨハンセンを殺害しなければならない理由はまったく浮かんでこない。
〈アントンとタリアはこの事件を探って、いったい何を見つけ出したんだ!?〉
事件を推理しだすと、必ずこの疑問が神谷の心につきまとった。
エルキの話では、タリアは彼を訪ねていない。
それは、タリアが合鍵の件を調べていなかったことを意味する。
タリアは合鍵の件を探るにいたらないうちに殺されている。
それは、他にクオピオ事件を解く手掛かりをつかんだためなのだろうか。
タリアがエルキを訪ねていないなら、エルキは犯人にはなりえない。
エルキにとって、見も知らぬタリアを殺す必要はない。
合鍵を使っての犯行説が意味をなさなくなるからだ。
タリアがその線に沿って事件を追っていたのなら、必ずエルキに会って話を聞いているはずだ。


仮に、エルキが犯人なら、タリアが彼を訪ねて後、つまりタリアもアントンと同じくクオピオ事件の真相をつかみかけていると知ってからでなければ彼女を殺す必要はない。
しかし、エルキの話が嘘であったなら、この推理は成りたたなくなる。
タリアが訪ねて来たことをエルキが隠していれば、事態はまったく逆になってしまう。
神谷は目を開き、顔を上げた。
なにげなく周囲を見回したが、客の顔ぶれは先刻と少しも変わっていない。
泡の溶けてしまったビールをちびちびなめている五十過ぎの男。
木曜日の真っ昼間だというのに、こんな所でぼけっと時間を無駄にしているのは、働かなくとも失業保険で生活していけるからであろう。
この男の他にも隅っこのテーブルで、いびきをかいている男の姿が見える。
やはり失業保険で食っているくちだ。
ヘルシンキでもそうだったがフィンランド中どこへ行っても、たいていのレストランで見受けられる光景だ。



次の三日間を、神谷はエルキ・ラウノの身辺を探ることについやした。
しかし、結果は警察がエルキを白と断定した事実をあらためて確認したにすぎなかった。エルキの証言をくつがえす事実はどこからも浮かびあがってこなかった。
〈エルキの話は嘘ではなかったようだ〉
そんなことを考えながら、神谷は、安宿へ通じる道を歩いていた。
雪が凍って滑りやすくなった道を、足元に注意しつつ数分歩くと、古びてペンキのはげ落ちた見慣れた看板が見えてきた。
玄関口のドアの上部に、申しわけ程度に小さく『マトゥカ・コティ(簡易宿)』と書かれている。
よほど気をつけて探さないと、つい見過ごしてしまいそうな質素な感じの安宿だ。
神谷のクオピオでの寝場所だった。
三段しかない階段をあがり、安宿の玄関ドアを開けようと腕をのばしたとき、神谷の背後で車のクラクションが鳴った。


「ハロー・ミスター・カミヤ」
車窓から首を出し、神谷を呼び止めると、エルキは車を降り軽快な足取りで神谷のそばに近寄った。
片手で神谷の肩をポンと叩き、
「何かわかりましたか」と言いつつ片目を閉じた。
そんなしぐさをするエルキからは、難しい本を読む技術者の姿などとても想像できない。週末のテニスクラブで若い連中を相手にコーチをしている姿の方が似合っている。
実際、エルキは毎週末にはかかさず市内のクラブに通い、スカッシュに汗を流しているのだった。
「私のことをずい分聞き回っているそうじゃないですか」
神谷の行為を非難するといった口調ではなかった。
むしろ、それを楽しんでいるような口ぶりだった。


エルキは続けた。
「いいんですよ。私を疑うのは当然のことだから。警察も一時は、私を容疑者として調べていたんだから」
神谷はばつの悪さを感じ、黙って聞いていた。
「本当はそんなことを言いに来たんじゃないんですよ。実は、思い出すことがあったんです」
神谷はエルキの言葉に顔を上げ、
「思い出すこと?」
エルキは、大事なことを話そうとするかのようにゆっくりとうなずいた。
そして、続けた。


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