「タリア」第19章その2

「タリア」第19章その2


神谷は、頁の下端に記された数字をくいいるようにして見つめた。
それは、各頁ごとに記された頁数である。
二月九日の記録分は四十頁に書き込まれている。
その次は二月十日の分になるが、頁数は四十三頁になっている。
二頁分つまり一枚が抜け落ちているのだ。
消えた頁には、何が記録されていたのか。
当然の疑問が神谷の心に湧き起こった。
この頁には、鍵の件が記されていたのだろうか。
エルキの言葉が本当なら、消えた頁にはアルト・ラウノが失くした鍵の遺失物保管記録が記されてあったはずだ。
それが抜け落ちているのはなぜだ…。


もしや、クオピオ事件に関係しているのではないだろうか。
ヨハンセン氏宅に侵入した犯人は、事件の起きる一年前に拾った鍵の合鍵を作っていた。
その時は犯行の意志はなく、ただ合鍵を作っただけで拾った鍵を警察に届けた。
ところが、一年も後になってから急に思いついたように、犯人はヨハンセン氏宅を襲った。
そのあと、犯人は鍵を警察へ届けていたことを思い出し、証拠を消すため問題の頁を抜き取った。
頁を抜き取る方法は意外と簡単だったかも知れない。
ファイルを調べるふりをして抜き取ることだってできる…。
神谷はクオピオ警察署を意気消沈して去った。



午後四時、太陽は厚い鉛色の雲の向こう側に没し、暗くなりかけた通りに街灯の明るさが目立ち始める時刻であった。
神谷はどこへ行くともなく街を歩いた。
通りの両側に並ぶどの家々も二重窓を固く閉ざし、凍ってしまいそうなほど冷たい外気を遮断している。
外を歩く人の姿はまれで、たまにすれ違う人も皆、襟首に毛のついた暖っかそうなコートを着込み、毛編みの帽子を目深にかぶっている。
着古したコートにくるまり、町の東端に位置する湖の岸辺を、神谷は疲れた足を引きずるようにして歩いていた。


ヘルシンキの裏通りの古着屋でわずか十マルカで手に入れた焦茶色のコートではあったが、どうにか役に立っていた。
モミの木々を揺さぶる突風や、たえず降ってくる痛いほど固い粉雪から、神谷をかばってくれているのだから。
風にあおられて波うつ湖を横目に、神谷はうつむきかげんに歩き続けていた。
南北に細長い湖の南端まで来て、ようやく湖岸を離れ、車道に上った。
ポケットから両手を出し、寒さで感覚のなくなった耳をおおう。
気がつくと、町はずれにまで来ていた。
廃船を利用した酒場が視界に入った。
そこは二十人ほども入れば満員になってしまう小さな酒場で、神谷もずっと以前に二、三度来たことがあった。
酒場のすぐそばを通って、ぬかるみの多い空地を抜け、広場の方へと足を向けた。


クオピオ署を出てからずっと、神谷は一つのことを考えていた。
アントンと合鍵のつながりを。
アントンはファイルの中に問題の頁を見出したのか。
それとも、彼がファイルを開いた時には、その頁はすでに抜き取られていた後だったのか。
もしも後者であったなら、アントンは合鍵の件をそれ以上追求することはできなかったはずだ。
合鍵から事件の真相を探る道はそこで断たれたことになるわけだから…。
だが、アントンは殺されている。ファイルに記された鍵の記録を見、そこから事件の手掛かりをえたためか。
事件を解く手掛かりを見つけない限り、アントンを殺す必要はない…。


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