「タリア」第19章その3

(第19章その3)


絶望と口惜しさのため、神谷は歯ぎしりした。
肝心の記録が失くなっていたのではどうすることもできやしない。
アントンが見い出したはずの記録さえあれば…。
待て、タリアはどうなんだ!?
彼女は合鍵の件以外に手掛かりを得ているのだ。
だから殺された。
だが、その手掛かりはいったい何だったんだ!
事件の謎を解決する手掛かりは、合鍵の件以外にないように思えた。


タリアが殺されたのも、単に彼女がアントンの娘であるというだけで殺されたのかも知れない。
タリアはアントンからクオピオ事件について何かを聞かされており、事件を解こうとしてクオピオへやって来た。
犯人はそのように考えたのではないだろうか。
そのために、危険な存在であるタリアを殺したのでは…。


一時間近くも、冷たい外気に身をさらしていたため、神谷の体はすっかり冷えきってしまっていた。
安宿に戻ると、雪で濡れたコートを椅子の背に掛け、放熱器のそばにうずくまった。
冷たい戸外から急に暖かい部屋へ入ったせいで、全身がぶるっと震えた。
しばらく、放熱器に体をくっつけ、体の芯に暖が伝わるのを待った。
体が暖ったまるとベッドに寝転んだ。


くすんだクリーム色の天井にぼんやりと目をやりながら、神谷はクオピオ警察署で調べたファイルのことを思い浮かべていた。
合鍵の件が記されているはずの頁は消え失せていた。
それは、事件を解く鍵がそこでとだえてしまったことを意味する。
〈もはやこれ以上事件を追うことはできないというのか。タリアを殺した犯人を捕えることはできないというのか!〉
神谷はふいに体を起こし、部屋の中をぐるぐると苛立たしげに歩き始めた。
ここまできて、事件を放り出す気にはなれなかった。
それに、手掛かりはまだあるような気がしてならなかった。
たしかに、問題の頁は抜き取られ、そこから犯人を辿る方法は不可能となってしまった。
記録を見さえすれば犯人を見つけ出せる、その期待が大きかっただけに、神谷はうちのめされたような敗北感を味わった。


だが、反面、記録が紛失していた事実は、何にもまして、その記録がアルト・ラウノが部屋の鍵を落とした日のものであっただけに、クオピオ事件と合鍵との結びつきを立証しているように思えてならなかった。
〈合鍵。そのことについて見落としはないだろうか〉
神谷は部屋の中を歩き回りながら考え続けた。
記録から犯人を辿る以外に方法はないのか。
ニスがはげて白くまだらになった小さな木机。
その上には、部屋に入るなり放り投げた部屋の鍵がころがっている。


神谷はふとその鍵に目を落とした。無意識のうちに鍵を手に取り、掌の上でもて遊んだ。
最初は何も思いうかばなかった。
神谷は鍵を手にしたまま、歩き続けるばかりであった。
だが、突然、神谷は全身をこわばらせ、立ち止まった。
はっとして振り返り、ドアの鍵穴をにらんだ。
それから、手にした鍵へとすばやく視線を移した。
思わず声が出た。
「そうか。鍵だ! こいつがあったんだ。事件を諦めるには早すぎる!」
神谷は、鍵を手の中でぎゅっと握りしめた。


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