第21章その1


作品解説:この長編小説は第24回江戸川乱歩賞最終候補作となりました推理小説「タリア」を選評(「文章が粗いので受賞は諦めたが一番面白く読んだのはこの長編小説だ。惜しい、まったく惜しい」「文章を修正すれば名作になったかもしれない」にもとづいて加筆訂正しております。物語は日本人青年がアムステルダムで殺害されたフィンランド人の恋人タリアの死に疑問を抱き、北欧を舞台に謎を解いていくという長編小説(推理小説)です。


「タリア」第21章その1


ダークブラウンのスーツケースを降ろし、レオン・カレヴォルトはドアの鍵を開けた。
その部屋へ入るのは、四ヵ月ぶりのことだった。
後ろ手にドアを閉めるや、壁にもたれかかり、目頭を指で押さえた。
部屋へ足を踏み入れたとたん、思い出すまいと努めていた恋人の面影がまぶたにうかび上がり、涙がこぼれそうになったためだった。
キティ・ションクの葬儀をすませてわずか数日後に、レオン・カレヴォルトはローマにある海外支店へ長期出張を命ぜられた。
いやな思い出を少しでも早く忘れられるようにとの意味も含まれてはいたが、実際には語学に堪能で有能なビジネスマンであるカレヴォルト以外にローマ支店を任せられる人物がいなかったためである。


感情が落ち着くと、カレヴォルトは頬につたった涙の跡を手の甲でぬぐい、スーツケースを部屋の隅へ置いた。
それから、ドア口へ戻り、郵便受けからあふれこぼれた手紙などを拾い集めた。
デパートやディスカウント・ショップからのダイレクトメールが大半だった。
手紙だけを残し、ダイレクトメールはすべてくずかごへ捨てた。
上着を脱ぎ、ネクタイを外し、それらを洋服ダンスへきちんとしまってから、カレヴォルトは、手紙の束をベッドの上に拡げた。
手紙は全部で十一通あった。
そのうちの七通までがガスや電気料金の明細書だった。
残り四通を手にとり、上から順に封を切り、ざっと目を通していった。
最初の一通はキティ・ションクの女友だちからレオンに宛てたもので、ていねいな書体で悔やみの言葉が述べられてあった。
次の二通はレオンの友人からの手紙で、彼の心情をおもんばかった慰めと励ましの言葉がつづられてあった。


そして、最後に残った一通を手にした時、レオン・カレヴォルトは封を切るのをつかのまためらった。
宛名はなぐり書きしたような乱暴な字で書かれ、差出人の名は記されていなかった。
得体の知れない不安感に捕らえられたままで、彼はおそるおそる封を切り、中から一枚の便せんを抜き取った。
読み始めてすぐに、カレヴォルトの表情が変わった。
便せんを持つ手がぶるぶる震え、今にも気を失ってしまいそうなほど顔色がまっ青になった。手紙にはこう書かれていた。


『お前の女は売女だ。俺に抱かれて、あの女は歓喜の声をあげ泣き叫んでいた。あの女は、神の罰を受けたのだ。ふしだらな女には神の制裁が必要だ。神を馬鹿にした奴は、死をもってその罪を償わされるのだ。
ふふ、死ぬ前に女がどう言ったか教えてやる。
レオン、レオン、助けて。そう言って何度も俺に命乞いをしたんだ。
馬鹿な女だ。
そんなことで俺をだませると思っているのか。いつまでも泣きわめいていやがった。
もっと知りたいか、ふふ、女の死ぬ時の様子がいいか。女の喉がグシャと音をたててつぶれ、それっきり女は叫ぶのを止めやがった。それでも、俺は女の首をしめ続けてやった。
そのあと女がどうなったか聞きたいか。
目が飛び出し、口から紫色の舌を出し、汚いよだれをたらしていやがった。
どうだ。どの女も最後は同じだ。神の罰を受け、よだれをたらし、黄色い小便をもらすのだ。犬のように汚い小便をな。
どいつも、俺の大切な車を汚しやがる』


手紙を読み終えてすぐには、何の反応も湧き起こらなかった。
レヴォルトは放心したまま、その場に立ちすくんでいた。
ショックが全身を貫き、激しいめまいに襲われ、これ以上立っていられなくなってようやく、彼はくずれ落ちるようにしてベッドに座りこんだ。
しばらくはそのままの格好でいたが、やがてどうにか気を持ち直すと、床に落ちた封筒を拾い上げ、そこに押された消印を調べた。
消印はユトレヒト中央郵便局で押されたもので六月十日午後五時と印されていた。


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