第22章その2


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(第22章その2)


クオピオに、外科設備のある病院は一つしかない。
クオピオ・ゼネラル・ホスピタルがそれだ。
それ以外には開業医が七、八人いるが、ほとんどはビルの一室を診療室にあてている。
受付にいるまだ少女の顔をした十七、八の若い准看護婦は、神谷の言葉をそのまま婦長に伝え、婦長からヨハンセン氏殺害当夜の宿直医師の名を教えてもらうと、それを神谷に伝えた。
神谷はその医師にすぐさま面会を申し込んだ。


面会は二時間後の午後二時からということで承諾された。
やせて細面の長身の医師は名前をベイヨ・ヨキランタといい、事件当時は三十二歳の、インターンを終えたばかりの外科医であった。
彼は白く長い指を形よく尖った顎にあてがい、事件当夜のことを思い出すようにしてゆっくりした口調で喋り始めた。
「あの事件は今でも網膜に焼きついています。クオピオであんな事件が起きたのは初めてですからね。
ヨハンセン氏が襲われたのは、出血状態から判断して午前四時前後でした。
警察から電話を受け、現場に駆けつけたのが午前六時ちょっと前でした。
二時間の空白がありますが、これはヨハンセン氏が襲われた直後に意識を失くしそれから二時間後に意識を回復し、電話で助けを呼んだものと考えられます。
もっとも、別の意見もありますが…。
救急車の中では、意識はかすかにありました。カンフル注射を打ってどうにか生命を保っていた状態です。それも長くは続かなかったですが」


「ヨハンセン氏は、絶命する前に何か告げなかったでしょうか」
「私が手当をしている間、刑事さんが横で犯人は誰かとさかんに訊いていましたが、あの時はもうヨハンセン氏は口をきける状態ではなかったのです。
我々が、まあ、私の他にあと一人宿直の医師がいたのですが、彼と一緒にヨハンセン氏宅へ行った時は、本当は、どうにも手当のしようがないほどひどい状態だったのです。
出血がひどくて。
部屋着は血をたっぷり吸いこみ赤黒く染まっていました。
全身に何十もの刺傷を負い、特に左肩から左胸にかけての傷がもっとも深く、あれが致命傷になったと思います。口などきける状態ではなかったのです」


ベイヨ・ヨキランタは、まるで昨日の出来事を話しているかのように、表情豊かに、時折、指で顔のあちこちをなでながら喋った。
「ただ、覚えているのは、刑事さんが犯人に心当たりはないかと訊いていた際、ヨハンセン氏の手が最後の力を振り絞って必死にのび、人差し指を震わせながらその刑事をさし示したように見えたことです。
ヨハンセン氏はそれきり息絶えてしまったのです」
「ヨハンセン氏の指は、刑事をさすようにのびた? それは何か意味があってのことだったと思えますか」
「意味はなかったと思いますよ。
私には、死に行く者が手をとってもらおうと頼んでいるふうに見えましたが…。
刑事さんも私と同じ考えだったんじゃないですかね。ヨハンセン氏の手を取り、静かに胸に降ろしてやっていましたからね」
「その刑事を覚えておいでですか」
「ええ、知ってますが…。フントネン刑事でした」


同僚と一緒にヨキランタが現場に駆けつけてから、ヨハンセン氏を救急車で病院へ運ぶまでの間はわずか十分足らずであった。
しかもヨハンセン氏は病院へ運ばれる途中で死亡しているため、実際にはヨキランタが、生存中のヨハンセン氏と一緒にいたのはわずか数分間にすぎない。
しかし、その間、ずっとヨハンセン氏のそばについており、刑事がヨハンセン氏に尋ねたことはすべて見聞きできたはずだ。
「ほかに何か気がつかれたことはなかったですか」
「今話したので全部です。これくらいでよろしいですか。そろそろ次のオペの準備をしなければならないので」
「待ってください。もう一つだけ、最後の質問をさせてください」


席をはずしかけようとするヨキランタをおしとどめ、神谷は最後の質問をした。
タリアが訪ねて来なかったか、そしてアントンはどうであったかを問うた。
ヨキランタの返答はこうだ。
「五月の初めころだったと思いますが、あなたの言われる女性がたしかにここへ来ました。ヨハンセン氏の件をしつこく聞かれたのでよく覚えています。
ええ、きれいな金髪をした二十歳くらいの女性でした。
アントン・コッコネン氏? 
その男性については全然知らないです。
そんな人が訪ねてきた記憶はないですね」
ヨキランタ医師は、神谷に話したのとほぼ同じ内容をタリアに喋ったと言う。


ヨキランタの話から神谷は二つの考えを頭の中で組みたてていた。
一つは、タリアがヨキランタを訪ねていた事実である。
ヨキランタの話の中に、タリアはクオピオ事件に結びつく手掛かりをえたのだろうか。
タリアがヨキランタを訪ねたのは五月初め。
殺されたのは六月十一日で、その間、約一ヵ月の時日がある。
ヨキランタの話にヒントをえて、事件を解く鍵をつかんだとも考えられる。
他の一つは、ヨハンセン氏が死の間際に指を刑事をさし示すかのように動かした点である。


ヨハンセン氏の最後にとった行動は、死に行く者の願いから出たものだと簡単に考えてよいのだろうか。
賊に襲われて重体の人間が、いくら死の間際だからといってそんなことをするだろうか。
刑事は犯人は誰かと問い、ヨハンセン氏はその刑事を指さした。
ヨハンセン氏は口をきける状態ではなかったという。
言葉の代わりに、指で示したのだろうか。
そうとすれば、ヨハンセンが指さした刑事、つまりフントネン刑事が犯人ということになる…。
タリアはここから事件解決の糸口を見出したのだろうか?


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