第25章その1

作品解説:この長編小説は第24回江戸川乱歩賞最終候補作となりました推理小説「タリア」を選評(「文章が粗いので受賞は諦めたが一番面白く読んだのはこの長編小説だ。惜しい、まったく惜しい」「文章を修正すれば名作になったかもしれない」にもとづいて加筆訂正しております。物語は日本人青年がアムステルダムで殺害されたフィンランド人の恋人タリアの死に疑問を抱き、北欧を舞台に謎を解いていくという長編小説(推理小説)です。


(第25章その1)


アンティ・コリョネンは、町はずれの一角にぽつんと建った、今にも壊れてしまいそうな木造の古いアパートに住んでいた。
ここの住人の大半が失業保険で食っている連中だと、ラウリラから聞かされている。
神谷のノックに答えて顔をのぞかせたのは、ラウリラから聞いていた人相通りの男―やせてぼさぼさの長い髪をしてひどく大きな鼻が目立つ―コリョネン本人であった。
うさんくさそうな眼で神谷を一べつすると、ぶ厚い唇をゆがめて言葉を吐き出した。
「何か用か」
「アンティ・コリョネンさんですね」
コリョネンは神谷をにらみつけ、
「だったら、どうだというんだ?」
「三十分だけ時間をもらえませんか。話を聞かせてもらうだけです」
コリョネンは、神谷の右手に目を落とした。
「ただで聞かせてもらおうとは言わない。ここに五十マルカある。三十分付き合ってくれれば、この金はあなたのものだ」


神谷は五十マルカ紙幣を両手で拡げて見せてから、それをポケットにしまいこんだ。
コリョネンの口を滑らかにさせるには、それに見合う報酬を与えるのが一番手っ取り早い。
ラウリラの助言が役に立ったみたいだ。
コリョネンはドアを拡げ、顎をしゃくった。
「入れよ。おっと、その前に、そいつをもらっとくぜ」
コリョネンは手をのばして、神谷のコートのポケットからすばやく紙幣を抜き取った。

「その替わり、こっちの尋ねることにはきちんと答えてもらうぞ」
コリョネンの顔を正面から見すえ、神谷は強い口調で言った。
「心配するな。騙したりはしない。どこでも好きな所に座れよ」
頬のこけた青白い顔にうす笑いを浮かべ、コリョネンは鼻をならした。
木枠の上にマットレスを敷いただけのうすっぺらなベッドに、神谷は尻をのせた。
さびかかった小さな電気ストーブが狭い部屋の隅で燃えている。
しかし、暖房効果はほとんどなかった。
零度に近い外気が、窓のすき間から入り込んでくるせいだった。
粗末なベッドと、どこかから拾ってきたような丸椅子が一脚あるだけの、寒々とした汚い部屋。
ほこりのしみついた灰色の壁には、色あせたピンナップが貼りついている。


外はうす暗く、雪はたえまなく降っている。
窓から目を離すと、神谷は目の前に立っているコリョネンの顔を見上げた。
コリョネンは頬にたれかかった長い髪をかきあげようともせず、陰うつそうな顔で神谷を見下ろしていた。
「クオピオ事件で犯人扱いされたと聞いたが、どうしてそんなことになったのか聞かせて欲しい」
コリョネンの濁った灰色の目を見返し、神谷は本題へ入った。
コリョネンは表情のない眼差しを神谷に向けたままでいたが、やがて、どうでもいいことだといいたげにやせた肩をすくめてみせた。
「ふん、そんな古いことを聞いてどうする気だ。まあ、そっちが聞きたいっていうなら、それでもいいが。金はもらったんだから、約束は守るぜ」
神谷が話を聞きたがる理由を尋ねようともせず、コリョネンは続けた。
「俺をヨハンセン殺しの犯人に仕立てようとしやがったのはハッカネンのやつなんだ。あいつが俺をしょっぴきやがった。
本当いうと、こんな話は二度としたくないんだぜ。昔のことを思い出すと、胸くそが悪くなる」


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