第26章その2

(第26章その2)


「彼のその後の居場所をご存じですか」
神谷は答えをあてにはしていなかったが、もしやと思って聞いてみた。
それに対して、女主人は何かいやなことを思い出したというように、首を大げさに横に振り、
「ここを出ていってからは一度だって便りを寄こしたこともないし…。それにあの人、なんだか陰気で、私はあまり好きじゃなかったわ」
「出身地のドライアイヒに戻るようなことは言ってなかったですか?」
「ああ、フランクフルトのことね」
「フランクフルト?」
「ドライアイヒはそこの郊外にある町のことなのよ。グレーペさんがそう言ってたわ。でも、そこへは戻る気はなかったみたい。母親はあの人の小さいころに亡くなったとかで、帰っても仕方ないと思ってたんじゃないかしらね」
アドルフ・グレーペに関して彼女が知っていることはそれぐらいだった。


「私の他に、彼のことを尋ねてきた人物はいませんでしたか」
「誰も。そんなこと訊かれたのは今日が初めてよ。ねえ、あの人、何かしたの? 陰気な感じだったからね…」
神谷は女主人の眼に浮かんだ露骨な好奇心を無視して、
「彼の写真か何か、お持ちでは? 玄関前で写したものとか…」
と言ったが、最後の言葉は口の中で消えてしまった。
女主人が、神谷の話をさえぎるように太い首根っこを振ったためだった。


下宿屋を去ると、神谷は安宿へ足を向けた。
〈こうなれば、アドルフ・グレーペの出身地、ドライアイヒへ行ってみるほかない〉
今まで名前すらわからずに追い続けていた男の姿が、今はまだその影しかわかってはいないが、ようやく神谷の前におぼろげな輪郭を表したのだった。
ドライアイヒに住む人間の誰かが、アドルフ・グレーペの近況を知っているかも知れない。
それに神谷にとって、タリアを殺した犯人を見つけ出すには、もはやそれしかなかった。


異国の地でたった一人で事件の究明にすべてを費やしていた神谷であったが、三ヵ月もの月日の末にようやく犯人の後ろ姿を見つけたのだった。
それがアドルフ・グレーペだった。
〈奴の口を割らせ、必ず事件の真相を白状させてやる!〉
神谷はじっとしていられなかった。
気がはやっていた。


一刻も早くドライアイヒに行き、アドルフ・グレーペの足跡を探り出す、心の中はそのことでいっぱいだった。
まだ顔さえ見たことのないアドルフ・グレーペの姿が、神谷の脳裡で形づくられ一つのイメージが浮かび上がっていた。
長身でやせており、顔は細面。
ブロンドの髪に、くぼんだ薄い青い色の目。
〈アドルフ・グレーペ! 俺はお前を許さない。必ず見つけ出しお前の罪を十分に償わさせてやる。どこまでも、地の果てへでも俺はお前を追いつめてやる!〉


(第27章へ)