第27章その1

作品解説:この長編小説は第24回江戸川乱歩賞最終候補作となりました推理小説「タリア」を選評(「文章が粗いので受賞は諦めたが一番面白く読んだのはこの長編小説だ。惜しい、まったく惜しい」「文章を修正すれば名作になったかもしれない」にもとづいて加筆訂正しております。物語は日本人青年がアムステルダムで殺害されたフィンランド人の恋人タリアの死に疑問を抱き、北欧を舞台に謎を解いていくという長編小説(推理小説)です。


(第27章その1)


神谷がフランクフルトへ着いたのは、クオピオを発って八時間後、正確には十一月一日午後八時十二分であった。
クオピオからヘルシンキ経由で飛行機を乗り継いできたのだった。
アドルフ・グレーペの出身地とされるドライアイヒは、フランクフルト空港から車で二十分ほどの距離にあった。
下宿屋の女主人が話していたように、フランクフルトの郊外にあった。
もっとも、フランクフルトを取り囲む郊外はいくつもあり、ドライアイヒはフランクフルト駅から南へおよそ四十キロ離れた地点にある。


ドライアイヒのほぼ中心部にあたるスプリンドリンゲン通りのビジネスホテルで、眠れぬ一夜を過ごした神谷は、疲れた体を休めようともせず、翌朝早くから行動を開始した。
赤く充血した眼に執念の炎を燃やし、アドルフ・グレーペを知る人物を探すのに精力的に動き回った。
神谷にとって幸運だったのは、アドルフ・グレーペの生まれ育った住所を、思っていたより容易につかめたことであった。
それは、ホテルのフロント係から教えてもらったのだが、スプリンドリンゲン通りをフランクフルト方向へ十分ばかり歩いた場所にアドレスサービスセンターがあり、そこを訪ねてわかったことだった。


そこは市役所のようなもので、ドライアイヒとその近辺に住む人々の氏名と住所及び出身地を一枚のカードにして記録し保管しておくセンターであった。
ドライアイヒで生まれたり、あるいはたとえ一時的にせよそこに住んだことのある人たちの記録は半永久的に保管されるのである。
アドルフ・グレーペの場合は名前もわかっており、ドライアイヒで生まれたということがわかっていたため、彼が最後に住んでいた住所はすぐにつかめた。
ワゲンブルグ通り三十七番地。
それが、アドルフ・グレーペがドライアイヒを出る最後の二年間住んでいた場所であった。


近くには、広大な敷地を有する工場がいくつもひかえている。
自動車、電子機器、時計などなどの工場が、広い道路を間にはさみ、整然と建ち並んでいる。
それらの一つに、ノードメンデという名のオーディオ専門の工場がある。
そして、そこが三十七番地からはもっとも近い距離にあり、五十メートルと離れていない。
ワゲンブルグ通りを境に、西側に工場、東側には一般家屋が軒をつらねている。
この付近一帯は二十年前にはうっそうとした森であったのが、ドライアイヒ地区行政委員会の手になる懸命な開発と工場誘致政策が功を奏し、現在ではフランクフルト近郊で一、二を争うほどの工場地帯に変貌している。
ただ、工場は拡張のたびごとに建物の改装が行われてきたが、一般家屋はそうもいかず、そのため今では工場の立派さに比べ、住宅街の家並みはひどくくたびれたものになっていた。


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