第28章その1

作品解説:この長編小説は第24回江戸川乱歩賞最終候補作となりました推理小説「タリア」を選評(「文章が粗いので受賞は諦めたが一番面白く読んだのはこの長編小説だ。惜しい、まったく惜しい」「文章を修正すれば名作になったかもしれない」にもとづいて加筆訂正しております。物語は日本人青年がアムステルダムで殺害されたフィンランド人の恋人タリアの死に疑問を抱き、北欧を舞台に謎を解いていくという長編小説(推理小説)です。


(第28章その1)


ネッカー通りの靴屋を探すのに、それほど骨は折らなかった。
ワゲンブルグ通りを南北に分断するライネ通りをまっすぐ東へ三十分ほど歩くと、ネッカー通りに行き着く。
スーパーマーケットや洒落たブティックの目立つスプリンドリンゲン本通りの派手さはないが、地味で色あせた小ぶりの商店が軒を並べるネッカー通りには時代の波におし流されることなく流行などに頓着しない頑固さがあった。
どの店のウインドーにも客を呼び込むための貼り紙は一枚もなく、スーパーマーケットの得意とする“セール”と大書された赤札もない。
靴屋は、こざっぱりした質素な店構えの続く商店街の中ほどにあった。
間口のせまい店先には、流行遅れの先の尖った婦人靴やら木靴のごとく固そうな皮靴が、棚の上に並んでいる。


店の奥には、年配の女性がこちらに横顔を向けて座っている。
彼女の他には店員はいない。
一人で店をやっているようだ。
「アドルフ・グレーペ氏をご存じだと聞いて、伺ったのですが。私は彼の友人で、カミヤと申します」
脂っ気のない赤茶けたバサバサの髪、ひどいそばかす。
さきほどの夫妻の話した女性に間違いない。
帳簿から顔を上げると、彼女はゆっくり立ち上った。
背丈は神谷とほとんど変わらない。
骨太ながっしりした体を着古した灰色のスーツで包んでいる。


「それで?」
懐疑心の強そうな焦茶色の瞳をまっすぐ神谷に向け、彼女はぶあいそうに口を開いた。
アドルフのことを知っているという外国人に、どこまでを喋っていいものかと思案しているふうだった。
「アドルフとはフィンランドで知り合ったんです」
相手に警戒心を起こさせないために、神谷はすかさずつけくわえた。
そう言ってから、神谷は口元に微笑を浮かべ、
「クオピオで出会ったんです」と続けた。
彼女はこの言葉に心を揺すられたみたいであった。
瞳を、それとわかるぐらいに輝かせ、落ち着かなげに手を髪にもっていった。


「クオピオ?」
「クオピオにいた時、アドルフと同じ部屋に住んでいたんです。十年近く前のことになりますが、外国人同士だったせいかうまが合ったんです。
彼は三ヵ月足らずしかクオピオにいませんでしたが、私はそのあともずっとクオピオに住んでたんです」
彼女は神谷の話に強い関心を見せた。
目を潤ませ、熱っぽい眼差しで神谷の唇の動きを見つめていた。
そんな彼女を注意深く見守りながら、神谷は話を続けた。
「アドルフがクオピオにいた間、私も一緒に彼の父親を探したんです。残念ながら、そのときは見つけられなかったですが」


「それで、あの、見つかったの?」
すがるような目がまばたきもせず、神谷を見つめた。
神谷はぐっと息をのみ、
「ひと月前のことですが、見つかったんです。偶然でした」
できれば、事件とは直接関係のないアドルフの育ての親にこのような嘘をつくことはしたくなかったが、今の神谷にはこうする他なかった。
予想どおり、相手は神谷の言葉に飛びついてきた。
「本当なの!? 見つかったの? あの子の、アドルフの父親が誰かわかったの!?」
彼女は感激で唇を震わせ、神谷に抱きつかんばかりだった。
今の彼女には、ついさっき見せたとげとげしさはどこにもなく、あるのは一人の女、一人の母親としての愛情だけだった。


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