第28章その2

(第28章その2)


「ほぼ間違いないです。ある人物と、アドルフの持っていたペンダントの話をしていてわかったんですが、その人物のかつて持っていたペンダントの特徴がアドルフのペンダントとぴったり一致するんです」
言いながら、神谷は胸ポケットから手帳を取り出し、頁を繰った。
あたかも、ペンダントに記された文字を確かめるかのように。
フィンランドの銀貨で、彫られている数字は一九四…」
「一九四二年十二月二十五日。愛するE・G・へ」
神谷の言葉を待ちきれずに、彼女は言った。
「四十二年のクリスマス。一度覚えたら忘れないわ。戦争の激しかった時…」
彼女の言った数字を、神谷は頭にきざみ込んだ。
「あの、その人は、今、何をしてるの?」
彼女の視線は宙をさまよい、心は遠い昔に戻っていた。


「弁護士をやっています。名前はアントン・コッコネンです」
そこで言葉をきると、神谷はしばし沈黙した。
「よかったら、当時の話を聞かせてもらえませんか? ミセス…」
「ごめんなさいね。名前も言わないで。ワイゼンバッハ。ライザ・ワイゼンバッハ。今は、夫も子供もいないの。戦争でね…」
ワイゼンバッハは、悲しげにまばたきを繰り返し、自分の両手を、指先が白くなるほどきつく握り合わせた。


ライザ・ワイゼンバッハとエルマ・グレーペはいとこ同士だった。
一九四二年当時、彼女たちはまだ二十歳を過ぎたばかりで、ライザはすでに結婚し子供を持っていたが、エルマは一人身だった。
それから三年後、終戦を迎えるまでに、彼女たちは互いの持つほとんどすべてを失くしてしまっていた。
エルマは両親を、ライザは夫と子供を。
エルマ・グレーぺがフィンランド人の兵隊と付き合っていたのは、彼らがドライアイヒを引き揚げる直前の、わずか十日あまりのことだった。
その間に、エルマはフィンランドから来た若い兵隊との恋に燃え、彼らが去ったあと、自分が身ごもっていることに気がついた。
そして、その兵隊のことで彼女の知っていることといえば、彼がクオピオという町の出身であることぐらいであった。
それと、彼がドライアイヒを去る時にくれた、銀貨でできたペンダント。
戦争が終わった次の年、エルマは肺炎をこじらせて亡くなった。
そのため、まだ三歳にも満たないアドルフは、ライザが引き取って育てたのだった。


「エルマは、亡くなる前に、彼女が一度も体から離したことのなかったペンダントを私に預けたの。アドルフが大きくなったら話してやってと言って。
でも、アドルフの父親が誰なのか、私は何も知らなかったわ。
その人に会ったこともないし、エルマから聞かされたのは、クオピオ出身ということと、二十五、六の若い兵隊だったということ。
それと、右肘に大きな傷跡があるということだけ」
ワイゼンバッハは急に言葉をとぎらせ、瞳にかすかな不安をのぞかせて神谷を見つめた。
その目には、期待を裏切らないで欲しいという切なる願いがこもっていた。
この人の話すフィンランド人が、アドルフの父親でありますように。


「間違いないです。右肘に傷跡があります」
神谷はためらいがちに答えた。そして、
「アドルフは今どこにいるのですか。父親が見つかったことを、彼に知らせてやりたいんです」
神谷の言葉に、ワイゼンバッハは思わず両手で顔をおおった。
「あー、なんてこと」
絶望に向って急降下していくかのような、悲痛な声。


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