第29章

作品解説:この長編小説は第24回江戸川乱歩賞最終候補作となりました推理小説「タリア」を選評(「文章が粗いので受賞は諦めたが一番面白く読んだのはこの長編小説だ。惜しい、まったく惜しい」「文章を修正すれば名作になったかもしれない」にもとづいて加筆訂正しております。物語は日本人青年がアムステルダムで殺害されたフィンランド人の恋人タリアの死に疑問を抱き、北欧を舞台に謎を解いていくという長編小説(推理小説)です。



第29章


ライザ・ワイゼンバッハの次に神谷が訪ねたのは、彼女から教わった五人の人物だった。
その日のうちに四人に会い、次の日、神谷は残る一人を訪ねた。
五人ともにアドルフ・グレーペを知っており、彼らの話から次の三つのことがわかった。
一つは、アドルフ・グレーペを三年前に見かけたこと。
その時の彼はクオピオを去って以来すでに五年近くをストックホルムで暮らしていたらしかった。


一つは、これは五人目の男から得た情報であったが、アドルフ・グレーペを今年の六月にコペンハーゲンからストックホルムへ向う船の中で見かけた者がいるということだった。
最後は、ライザ・ワイゼンバッハに関しての噂であるが、彼女は大戦中、しかも夫と子供を失くした直後に、連合軍の兵士にレイプされ子供を腹に宿してしまい、その中絶手術に失敗したということだった。
そのため、彼女は二度と子供を産めない体になってしまい、そのせいか再婚はかたくなに拒んできたらしかった。


アドルフ・グレーペをストックホルム行きの船上で見かけたという人物に会うために、神谷は二日を無駄にした。
その人物は長距離トラックの運転手で、彼がコペンハーゲンから戻ってくるのを待っていたためだった。
野球のベースのように角ばった顔の、ひときわ目立つ長身のたくましい体格の男だった。


「ありゃ、六月だったな。ストックホルムからフランクフルトまでパルプを運んでくれってんで、出かけた時のことだ。正確な日を教えてくれって? それなら会社に電話すりゃ、すぐわかるってことよ。あとで聞いてやるよ。
実は、あれは俺の仕事じゃなかったんだ。
仲間がストックホルムで足を怪我しちまったんで、俺が代わってやったんだ。そんなことはどうでもいいやな。
アドルフを見つけたのは、コペンハーゲンからストックホルム行きの船に乗ってた時よ。そうよ、船がコペンハーゲンを離れてだいぶたってから、バーに飲みにいったのよ。その時奴っこさんを見つけたんだ。
声を掛けてやろうかと思ったんだけど、連れがいたんで、奴の連れさ、止めたんだ。なに、ありゃ、アドルフに違いねえ。間違いっこねえよ。
連れのおっさんと、何かこう真剣な話をしてるじゃねえか。
俺はそういうのはだめなんだ。
ぱっと陽気に騒ぐんじゃなきゃな。
えっ? そいつか? ありゃ、ドライアイヒの奴じゃねえ。
ここの奴らなら、たいてい知ってるからな。
顔を見りゃ思い出すかも知れねえけど。
それからどうしたかって? バーで見かけたきり、奴を見ちゃいないさ。
船を降りる時は、俺は一番どん尻だったんだ。
大雨が降ってやがって。
海が時化ってたのよ。
俺が見かけてからは、ここの連中で奴を見た者なんていないんじゃないか。
見た奴がいりゃ、なんか話のタネになってるだろうからな。
今か? さあ、ストックホルムにいるんじゃねえのかな…」


早口の聞きづらいドイツ語から、神谷がなんとか理解出来たのはそれくらいだった。
男の助言に従って、神谷はトラック会社に電話を入れ、そこから、男がフランクフルトを出たのは六月十二日深夜で、同僚の運転する車でコペンハーゲンまで便乗し、十二日の午前九時コペンハーゲン出港の船に乗ったという事実がわかったのである。
アドルフ・グレーペは六月十一日夜、タリアを殺し、その足で翌日、コペンハーゲンストックホルム行きの船に乗った。
時間的に、問題点はない。
神谷はアドルフ・グレーペの五ヵ月前の足跡にまで、ようやく辿り着いたのであった。


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