第31章その1

作品解説:この長編小説は第24回江戸川乱歩賞最終候補作となりました推理小説「タリア」を選評(「文章が粗いので受賞は諦めたが一番面白く読んだのはこの長編小説だ。惜しい、まったく惜しい」「文章を修正すれば名作になったかもしれない」にもとづいて加筆訂正しております。物語は日本人青年がアムステルダムで殺害されたフィンランド人の恋人タリアの死に疑問を抱き、北欧を舞台に謎を解いていくという長編小説(推理小説)です。


(第31章その1)


ユトレヒト市内から南へ五キロ離れた郊外に、ひと際目立って建ち並ぶ高層アパート群がある。
加速度的に増え続ける市内の人口を郊外に分散させるために建てられたもので、周囲ののどかな畑地とは対照的に近代的なその姿は遠くからも人目をひいた。
八階建ての白い建物が一列に四棟ずつ、全部で五列、それぞれ二十メートル間隔で配置されている。
そのアパート群のほぼ中央部に、五百台の車を収容できる駐車場がある。
車を所有する世帯は三百四十に満たず、あと百六十台分のスペースが残っていることになる。
もっとも、アパートの住民以外の、他の人間の所有する車も何台かはまぎれ込んでいるのであったが。


その車、連続殺人犯が使用していたと思えるルノーが見つかったのは、十一月十三日夜のことだった。
アパートの住人カール・ウェルネキンクは、自分の車の横に駐めてあるルノーが五ヵ月近くもの間、一度も動かされていないことに不審を抱いていた。
駐車場の隅に駐められた車に、特別の関心を払う者はウェルネキンクの他にはおらず、初めはウェルネキンク自身も、同じ場所を一センチも動いていないその車を気にもとめていなかった。
しかし、三ヵ月、四ヵ月経つうちに、次第に疑問がつのり、車の所有者がいっこうに現われないのは、犯罪に関係しているからではないだろうか、そう思ってついに意を決し、警察に連絡したのだった。


連絡を受けたユトレヒト市警察は、車のナンバーからそれが盗難届けの出ているものであることを確認すると、二名の警官を現場へ向かわせた。
車は今年の一月十二日に盗まれたもので、一九七五年型モスグリーンのルノーだった。
そこまでなら、盗難車が一台発見されたというだけで終わっていたのだろうが、幸運にも警官の一人は、連続殺人事件で使われたとされるルノーのことを思い出した。
ちょうど一ヵ月前に、被害者の一人であるキティ・ションクの恋人レオン・カレヴォルトからアムステルダム警察署へ、犯人が出したと思える手紙が届けられ、捜査の網がユトレヒトに絞られたのであった。


犯人は三十代半ばの男でクラシック好き、そして男の乗る車はルノー
これらの手掛かりをもとに、ユトレヒト市内を隈なく捜査したのだったが、犯人は見つからなかった。
一ヵ月に及ぶ捜査中、ユトレヒト市内で調べを受けた人物は六百人にも達し、そのほとんどがルノーを所有していた。
警官は本部にルノーのことを報告し、本部からただちに鑑識課の連中が送りこまれた。


鑑識の結果、車内から十数本の陰毛が発見され、座席のシートからは少量の尿と血こんが検出された。
この事実はただちにアムステルダム警察署へ伝えられ、バンヘルデン警部自らが車を飛ばしてユトレヒトへ急行した。
ユトレヒト警察の刑事から、彼とはこの一ヵ月半の間に何度も顔を合わせているのだが、手短に説明を受けると、バンヘルデン警部はさっそくカール・ウェルネキンクの証言を求めた。
「車はどのくらいの期間、あそこへ置きっぱなしになっていたのですか」
「五ヵ月ほどの間ずっとだね」
市内の印刷工場に勤める五十年輩のカール・ウェルネキンクは、ルノーを指さして言った。
数人の署員が、投光器に照らされた車体にへばりつき、シートをはがし、ボンネットを開け、トランクをのぞきこんでいる。
一つとして手掛かりを見落とすまいと懸命に作業を行っているのだ。
「その間、一度も車は動かされていないのですね」


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