第36章その2

(第36章その2)


次に神谷が訪ねたのは、ハッカネンの住んでいるユバスミナ通りであった。
そこは湖の近くにある通りで、一軒家が建ち並んでいる。
神谷はユバスミナ通りの住民を次々に訪ねて回った。
どうせ今夜になれば、日本人がハッカネンのことを聞いて回っていたという噂がハッカネンの耳に入るだろう。
それまでに、ハッカネンに関してできるだけ多くのことを知っておきたかった。
俺がハッカネンのことを探り回っていると知れば、奴は妨害に出てくるに違いない。
神谷はそう思った。


ユバスミナ通りの住民八人にハッカネンのことを尋ねたが、神谷の予想どおり、ほとんどの者が初めて見る外国人に、いうなれば仲間うちのハッカネンについて喋ろうとしなかった。
その中で一人だけ、イッコネンという名の五十年輩の主婦であったが、彼女は神谷にこんな話をしてくれた。


「六月十一日ですか? そうね、たしかその頃だったかしら? アランド島へ行ったのは。ちょっと待ってて、カレンダーを見ればすぐわかることだから。
…六月十一日、ええ、署長の奥さんと私と主人とで六月十一日の朝早くここを車で発ち、その日の夕刻にツルクへ着いたわ。
アランド島へはツルクから船で行ったの。
署長が私たちに合流したのは、そうね、十三日の昼過ぎだったかしら。
本当は朝に着く予定だったんだけれど、嵐で海が荒れたため船が出なかったの。
署長はヘルシンキに急用ができたため一緒に来れなかったみたいだったわ。
十三日からはここへ戻って来るまで、皆一緒だったわ。
ええ、二週間ずっと。
ねえ、あなた、そんなことを聞いてどうするの?
署長のことを聞いたりして、誰かに頼まれたの?」


ハッカネン署長は六月十一日から二週間、イッコネン夫婦らと一緒にボスニア湾に浮かぶアランド島へ夏期休暇に出かけていた。
しかも六月十一日のアリバイはあいまいだ。
イッコネン夫人を訪ねた後、神谷はクオピオ空港へ急いだ。

彼は、事件の核心に一歩一歩確実に近づきつつあると信じていた。
タリアの殺された六月十一日、その日ハッカネンはクオピオにいなかった。
ヘルシンキへ行ったということだ。
そのことから考えられるのは、ハッカネンはクオピオからヘルシンキを経由してアムステルダムへ行ったのではないのか。
そうなれば、当然、飛行機を使っているはずだ。


神谷はそのことに気づいて舌打ちした。
もう少し早く飛行機を調べることを思いついていれば、ユバスミナ通りの住人に探りを入れたりする必要はなかっただろうに。
ハッカネンに知られるのを少しでも遅らせられただろうに。
だが、今さら後悔してもはじまらない。


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