第37章その1

第37章その1


午後四時二十分、神谷はヘルシンキ空港に到着するや、シエキネンに電話を入れた。
その結果、ハッカネンは六月十一日午前十一時三十分発アムステルダム行きの便に乗っていることがつかめた。
だが、そこまで辿り着いた時、神谷は、今まで張りつめていた神経がふいに崩れていくのを感じた。
〈ハッカネンは、六月十一日、たしかにアムステルダムへ行っている。だが、それがどうしたと言うんだ。奴が、タリアの殺されたのと同じ日にアムステルダムへ行ったからといって、それがタリア殺害の証拠になるというのか。
そんなものはなんにもなりやしない。
タリアがアムステルダムへ着いてからの足取りは、警察の手によって調べ尽くされているんだ。
その中で、彼女が誰かと一緒にいたなどと指摘する事実は何一つない。
たとえ、六月十一日、スキポール空港でハッカネンを見たと証言する人物が現れたとしても、それだけのことでしかない。
奴をタリア殺害犯とする根拠はどこにもありやしない。
アムステルダムで、タリアとハッカネンが一緒にいる光景を目撃した者がいさえすれば、奴を追い込める…。
だが、それはアムステルダムの警察が何回も調べたことだ〉


アリバイを崩せば何とかなると思っていた。
だが、そのアリバイを崩した今、神谷はその次になすべきことがわからなかった。
むしろ、アリバイを崩してもそれが何の決め手にもならないことを悟るのみだった。
事件を追いかけて以来何度目かの絶望を、神谷は最後の気力を振り絞り、それを乗り越えようと努めた。
ハッカネンがタリアを殺害したのだとする推理は、神谷の胸の中で動かしようのないほど強く固まっていた。
それだけに、ここへきてハッカネンの仮面をはぐことを諦めるなどとうていできはしなかった。
だが、かといって、どうすればハッカネンの罪を暴くことができるのか神谷にこれといって考えはなかった。


午後六時、空港からのバスがヘルシンキ駅横のターミナルに到着すると、神谷は先ずシエキネンに会いにサノマット社へ出向いた。
しかし、シエキネンは急な取材が入り、現場へ直行したということだった。
ただ、代わりに出て来たアシスタントらしき若い娘から、「ヤパニライネンが来たら、この写真を渡すように」って言われているのでと写真を渡された。


次に、彼は足を『カイボ・グリル』へ向けた。
車のとぎれるのを待って、通りを横切り、エスカレーターで二階へ上がる。
踊り場の手すりにもたれてたばこを吸いながら駅前の通りを見降ろしている十六、七の娘たちの背後を通り、『カイボ・グリル』のドアを押す。
いつものように奥の方へ行こうとすると、聞き覚えのある声が神谷の名を呼んだ。
アキだった。
神谷は、窓際の席に一人で腰かけているアキの方へ近づいた。
「探してたんだ。で、どうだった。あんたの推理の結果は?」
アキは器用な手つきでタバコを巻きながら言った。
「犯人はわかったよ」
神谷は、アキの正面に、疲れた体を投げ出すようにして座った。
コートのポケットから先ほどサノマット社で入手した一枚の写真を取り出し、それをアキに見せた。
「この男がそうだ。クオピオ警察の署長でハッカネンという名だ。そいつはアドルフの父親なんだ」


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