第38章その1

作品解説:この長編小説は第24回江戸川乱歩賞最終候補作となりました推理小説「タリア」を選評(「文章が粗いので受賞は諦めたが一番面白く読んだのはこの長編小説だ。惜しい、まったく惜しい」「文章を修正すれば名作になったかもしれない」にもとづいて加筆訂正しております。物語は日本人青年がアムステルダムで殺害されたフィンランド人の恋人タリアの死に疑問を抱き、北欧を舞台に謎を解いていくという長編小説(推理小説)です。


第38章その1


アントンの車は、ヘルシンキ市内から五キロ離れた幹線道路沿いのスクラップ場に運びこまれていた。
それを知るのはさほど難しいことではなかった。
ヘルシンキ市警察へ足を運び、アントンの事故処理記録を見せてもらっただけでよかった。
事故後、車がどのように処理されたか、大破した車ならどこのスクラップ場へ持っていかれたか記録されているのだ。
翌朝、神谷らはスクラップ場へ駆けつけた。


鉄条網で囲まれただだっ広い敷地にはおびただしい数の車が放置されている。
そして、敷地の一角ではクレーンの先に取り付けられた巨大な鉄の爪が車をつまみ上げ、クラッシャーに次から次へと放り込んでいるのだった。
クラッシャーにのみこまれた車の運命はひどいものだった。
数秒後には、六十センチ四方の鉄の塊に圧縮されてしまうのだ。
神谷はその光景を視界の端にとらえ、不安な予感に襲われた。
アントンの車が、あのクラッシャーに放り込まれているとすれば、もはや望みはない。
赤い帽子を頭にのせた男は、口を尖らせ面倒くさそうに、
「日本製のトヨタ・コロナだって? Hの一七三ね。いつここへ運ばれたって?」
「一月十七日です」


「なんだって? そんなものとっくに潰しちまってるよ。ここに置いとくのはせいぜい三ヵ月かそこいらだ。見なよ、月に二回はああやって、潰しちまうんだ」
〈もうだめだ。これで、事件解決の望みは断たれてしまった〉
ハッカネンを陥落させるすべての道は閉ざされてしまった。
神谷は遠くを見るような寂し気な瞳をアキに向け、静かに首を振り、一人でその場を去って行った。
がっくり肩を落とした神谷の後ろ姿を、アキは無言で見守るほかなかった。
今の神谷に何を言っても、それはただのなぐさめにしかならない。
「あと三日あるじゃないか。諦めるには早いさ」、そんな言葉はかえって神谷の失望を深めるだけだとアキにはわかっていた。


神谷がヘルシンキ市内へ戻ったのは、その日の一時頃だった。
駅前でバスを降り、中央郵便局へ立ち寄った。
日本から手紙が届いていれば、局留で保管されている。
神谷宛ての手紙は一通あった。
大学の友人からのもので、大学での講義の進み具合を記し、進級試験が迫っているから早く帰ってこいと忠告してくれていた。
神谷は手紙をコートの奥にしまいこんだ。
帰国日は間近に迫っていた。


十一月二十三日早朝、神谷はふいに眠りから覚めた。
夢にうなされていたのか体中がじっとりと汗で濡れていた。
枕元に置いた腕時計に目をやる。
午前七時。
神谷は起き上がり、電灯をつけてから、窓辺へいった。
二重窓の、内側の方のガラス窓を開け、そこからレモンを取り出した。
そこは室内の暖房と外の冷気とのちょうど中間温度を保ち、冷蔵庫代りに使うには申し分なかった。
レモンを半分に切り、汁を口の中へ流し込む。
口の中にたまった種子をくずかごへぷっと吐き捨てる。
学生時代から続いている毎朝の日課だった。
「あと二日か」
まっ暗な外を見ながら、神谷はため息まじりにつぶやいた。
数分間、窓の外を見ていたが、神谷は再びベッドに入った。
考えることは一つしかなかった。
アドルフを殺したのは誰か。
それが気になっていた。
〈アドルフは一連の事件に関係して殺されたのだろうか…。そうだとすれば、ハッカネンが一番怪しい。しかし、ハッカネンがアドルフを殺す道理がない。奴はアドルフをかばったぐらいなんだから…〉


(第38章その2へ)