第38章その2

(第38章その2)


ハッカネンをタリア及びアントン殺害の犯人として追い詰めるにたる証拠をつかめないでいる今、神谷にはなぜかアドルフ殺しを解決することがハッカネンを追い詰めることにつながるように思えるのだった。
そして、アドルフ殺しの犯人はハッカネン以外には思い浮かばなかった。
しかし、そう考えるには、どうしても無視できない事実―ハッカネンはアドルフをかばった―があり、それが神谷の推理に大きな障害となっていた。
〈ハッカネンがアドルフを殺すとして、その動機に何がある。それがわかれば、この事件は解決する〉
神谷は一心にそのことを考え続けていた。


〈俺はハッカネンがアドルフをかばったものとばかり思っていたが、果たしてそう言いきれるものだろうか。ハッカネンがアドルフを殺した理由…。
息子の犯罪に絶望したためだろうか。
違う。
絶望したのであればタリアやアントンを殺す以前にアドルフを殺しているはずだ。まして、タリアたちを殺す必要は毛頭ない〉
通りを走る市電の音が大きく響き、神谷の思考をいっ時中断した。


〈ハッカネンはアドルフの存在が邪魔になった。この考えはどうだろう。
アドルフが存在する限り、ハッカネンにとってクオピオ事件の真相が暴かれる危険性がある…〉
この思いつきはたちまちにして神谷の頭の中を駆けめぐり、胸を高鳴らせた。
神谷はベッドにうつ伏せになり、考えに没頭した。
一つの推理が組み立てられるのに、さほど時間はかからなかった。


〈最初から始めよう。クオピオ事件で、ハッカネンは容疑者の一人であるアドルフを逃がした。理由は。
息子のアドルフをかばったため? 違う。
そうじゃなかったんだ。
ハッカネンは自身の身を守るためにアドルフを逃がした。アドルフがクオピオ事件の犯人となれば、ハッカネンにとって自分の息子が殺人犯となるということだ。
それは同時に、ハッカネンの三十余年前の過去を露呈することにもなる。
仮に、アドルフが犯人と見なされればハッカネンはどうなるだろうか。
奴は警部としての地位を失くしてしまっていただろう。
家庭内でもとり返しのつかない深い傷を作ってしまうことになっていただろう。
奴に残されるのは殺人犯を作ったという汚名だけになるだろう。
アドルフを逃がしたのは息子をかばうためと考えていたが、その裏にはハッカネン自身の身を守る意図があったのではないのか。


アントンとタリアを殺したのも、アドルフの罪を暴露されるのを恐れてではなく、事件の真相を探られるのを危惧してのことだった!
アントンあるいはタリアがクオピオ事件の全容を知れば、それはハッカネンの裏面を暴くことになる。
アントンそしてタリアとたて続けにクオピオ事件の真相を探る人物が現われ、二人を殺したものの第三の人物が現われない保証はどこにもない。
ハッカネンにとって真相がいつ探り出されるか不安であったはずだ。
アドルフが捕まり、事件を自白する恐れは多分にあるのだから。
アドルフが調べられるにつれ、ハッカネンとの結びつきがさらけ出されるといった不安が残る。アドルフを殺せば、事件を知る者はハッカネン一人となる…〉


神谷はそう推理すると、手帳を取り出した。
タリアの殺害された時間とアドルフの死亡したそれとを比較する。
タリアはアムステルダムにおいて六月十一日午後九時半前後に、アドルフはストックホルムで六月十二日午後九時から十一時の間に死亡している。
アドルフは海に落とされた。
それは時間的にみて、船の上からでしかありえない。
神谷は窓の外に拡がる闇をにらんだ。
「俺の推理が正しければ、これが奴の悪を暴く決め手になる」


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