第39章その1

第39章その1


バンヘルデン警部が娼婦街を探り始めたのは、彼のほんの思いつきから出たことだった。
ユトレヒト市内外を隅から隅まで捜査したにもかかわらず、犯人は網にひっかからない。
刑事の中には、犯人はどこかへ雲隠れしたのではないのかと考えるものもいた。
が、バンヘルデン警部はそうは思わなかった。
なぜか分からぬが本能的に、犯人はまだユトレヒトにいる、そんな気がするのだった。
しかし、捜査をユトレヒトに絞って一ヵ月余りが過ぎるのに、いっこうに犯人の足跡をつかめないでいる現状に内心焦りを感じ始めていた。


ただ、これだけ大がかりな捜査を展開しているのに犯人を挙げられないのは、犯人のイメージが漠然としすぎているからではないだろうか。
警部はそんなふうにも思っていた。
金髪をした三十代半ばの男でクラシック好き。
そんな男はユトレヒトに何百人もいるだろう。
外面的なイメージをもとに犯人を追うより、むしろ犯人の内面的なイメージをつかみ、それをもとに追った方が確実なのではないだろうか。
犯罪現場で犯人の姿を目撃した人間が五人いれば、犯人像は五通りでき上がってしまうのが常だ。
今回の事件では、少女の見た男と印刷工場に勤務するウェルネキンクの目撃した男のイメージはほとんど同じだが、これだけでは材料が乏しすぎる。


暗い運河にぼんやりと視線を落としていたバンヘルデン警部は、ふとそんな思いにかられ、自分の机に戻った
レオン・カレヴォルトにあてた犯人の手紙を読み返す。
何度読んでみても、吐気を催したくなるほどの異常で偏執的な文面だ。
何か犯人を追うのに役立つような暗示的な文章が混じっていやしないか、犯人が自身でも気づかぬうちにそんな文章を書いていやしないか、細心の注意を払って警部は手紙に目を通した。
読み終えると、警部はぐったりして天井を仰いだ。
この手紙を読むと実に気が滅入る。同じ人間なのにどうしてこのような異常な人間が突然変異のごとく現れ出てくるのだろうか。


気がかりな点が二つあった。
今までは、手紙の文面から犯人の足取りをつかもうなど誰も思いもつかないことであったが、今はワラにもすがりつきたい状況なのだ。
バンヘルデン警部は手紙のコピーに二箇所線を入れた。
一つは冒頭の文章、『お前の女は売女だ』であり、あと一つは同じ段落の最後、『神を馬鹿にした奴は、死をもってその罪を償わされるのだ』であった。
『神を馬鹿にした奴』という文章は、『俺を馬鹿にした女』と置き換えて考えた方がよく分かる。
『お前の女は売女だ』は、犯人はこの手紙をレオン・カレヴォルトにあてて書いているが、全体の文面は特定の女つまりキティ・ションクを指しているのではなくすべての女を指していることから、『女は売女だ』と考えることができる。


バンヘルデン警部は自分なりの解釈を続けた。
二つの文章から考えられるのは、犯人は女に馬鹿にされ、それがきっかけで凶行を犯し始めたということだ。
そしてその女とは、売女という言葉を侮蔑の象徴として使っていることから娼婦ではないだろうか。
犯人はある時、娼婦を抱いた。
しかし、恐らくそれはうまくいかなかったのだろう、娼婦はその男を馬鹿にした。
男にとってそれは耐えられない屈辱だったに違いない。
そして、男は自分を馬鹿にした『女』に復讐をしようと考える。


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